自転車なお遍路イメージ
 

思い出すこといろいろ(1回目を終えて)

・山に分け入ると、どの山でも鶯が綺麗な声で鳴いていた。あと雉の鳴き声も。まるで時代劇の効果音のようだ、などと本末転倒な感想を抱いたのは、街育ちのせいだろう。

・鶴林寺で自転車を押し上げていると、自転車用のグローブが片方落ちていた。まだ新しそうだが、踏まれてどろどろ。思わず拾い上げた。自転車遍路の落し物だろう。落とした人はがっかりしているだろうな。苦労して自転車を押し上げていると、身に付けているもの一つ一つが「同行二人」の構成物のような気持ちになってきたからだ。鶴林寺に届けようと思ったが、届けそびれて結局そのまま大龍寺まで持って歩く。このまま持って歩いても仕方がないので、迷ったあげく本堂への石段の脇に置いた

・今回の区切り打ちのルートをまとめてみた。札所の1/4を回ったとは言うものの、まだ先が膨大に長いことをあらためて実感。八十八所回ると1400kmあるというから、距離からするとまだ2割弱。無駄なコースどりもあったから、15%くらいだろう。やっぱり先は長い。

思い出すこといろいろ(2回目を終えて)

2回目の区切り打ちは予定どおり終了。やはり反省点はいろいろある。

たとえば事前に何時間か、昼間走って体を慣らしておかなかったこと。いきなり夏空の中を何時間も走るのは無理があった。

荷物も減らしたつもりだが、使わなかったものもある。着替え、シャンプー、ボディソープなどの身の回り品が多い。次回はもっとシェイプアップしよう。

地図、走行時間など、事前の旅程の下調べの手抜き。この辺は、まあそんなに計画的に走るのは・・・、という気分もあり、多少微妙な点もあるのだが、何にしても、もう少し丁寧に地図、旅程を検討しておいた方がいいかなぁ。

今回の収穫は「絵金祭り」に出会えたこと。以前テレビで見て、一度は行ってみたいと思っていた。それがこんな形で実現するとは。

もし神峰寺で車のお接待を受けなかったら、サイクリングターミナルで宿を紹介してくれなかったら、旅館かとりが満室だったら・・・。どれ一つ欠けても見ることはできなかっただろう。

偶然と言うかお導きというか、感慨深いものがある。

絵金祭との遭遇。(2回目)

「絵金」。絵師金蔵。

坂本竜馬の師でもあった河田小竜より12歳年長。狩野派に学び、土佐藩家老のお抱え絵師となる。その才をねたまれ、狩野探幽の贋作をしたとして、こめかみに刺青を入れられご城下追放となる。

逼塞した金蔵は、上方の芝居一座に身を投じたりしながら、やがて赤岡町の酒蔵に篭り、芝居絵を描くようになる。その作品は屏風絵にされ、地元の旦那衆が競って買った。屏風絵は、今は商店や旧家などに所蔵されており、年1回、神社の夏祭りの夜、商店の店先で公開される。これが「絵金祭り」である。

軒先に展示された絵金の屏風絵

作品は泥絵の具で描かれ、おどろおどろしく、中には血なまぐさい絵もある。しかし構図、デッサンがしっかりしているためかグロではない。逆に妙な魅力と力強さを感じさせる。西洋で言えばブリューゲルとかボッシュ、といったところか。ちょっと言いすぎかな。

もの知りの知人によれば、1971年、絵金をモデルにした「闇の中の魑魅魍魎」(脚本・新藤兼人、監督・中平康、主演・麿赤児)という映画があったという。作品名は聞いたことはあったが、絵金をモデルにしているとは知らなかった。70年当時の横尾忠則やアングラ演劇のポスターを見慣れた目には、絵金の絵は何か懐かしい。

屏風絵だけでなく、行灯になった絵もあり、お祭をより幻想的にしていた。お祭り自体は小さな町(日本一面積の小さい町)らしいお祭り。近郊や高知市などから人が集まり、賑わっていたが、それでも落ち着いたいいお祭りだった。

行灯になった屏風絵
幻想的な風情をかもしだす
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