自転車なお遍路イメージ
2012年春
はじめに
4月28日(往路)
4月29日(88〜86番)
4月30日(85〜80番)
5月1日(79〜70番)
5月2日(69〜66番)
5月3日(65〜62番)
5月4日(61〜58番)
5月5日(57〜52番 復路)

はじめに

(この部分はごく個人的な覚書ですので、飛ばしてくださって結構です)

●父の死

2007年5月、足掛け3年かけた自転車へんろも無事結願を果たした。この頃は、老いたとはいえ両親も元気で、身勝手にへんろに行けるような余裕があった。しかし結願の翌年のGW前日、母が脳梗塞で倒れた。入院している間に、大動脈剥離を発症したり脳梗塞が再発したりと目が離せない状況が続いた。その母を毎日見舞いに通って元気そうだった父も、疲れがでたのか夏には寝こんでしまった。2ヵ月ほど入院してから老健に移って、そろそろ自宅に戻そうと考えていた矢先、あっけなく亡くなってしまった。あと1ヵ月で89才だった。葬儀の時は、僕が四国で着た白衣と輪袈裟を父に着せ、棺に納経帳を納めて送ることができたのはせめてもだった。

●母の介護

父が亡くなる2日前、母親が半年ぶりに自宅に帰ってきた。葬儀にも参列したが、脳梗塞の後遺症からか、父が亡くなったこともよく分かっていない様子。その後も何回か脳梗塞を再発して入院したが、何とか乗り切り自宅療養に入った。しかしある日、誰もいない自宅でトイレに立った時に転んで、大腿骨頚部骨折となり、そのまま寝たきりになってしまった。

それまで、ヘルパーさんの助けを借りて自宅で介護していたが、寝たきりになった段階で自宅で看るのは諦めた。医者からも「施設に入れた方が」と何度も言われていたので、妹と近くの施設を探した。結局、病院のケースワーカーが紹介してくれた施設に入所。何軒も回った中で、スタッフの感じが一番よかったからだ。ちなみに病院は、1ヵ月が過ぎるととにかく追いだそうとして(と感じる)、いろんな施設を紹介してくれる。あんた、どっちの味方なの?とケースワーカーに聞きたかったが、当然給料をくれるところに決まっているのでやめた。

それから要介護5、身体障害2級の母親の施設を尋ねる毎日が続く。母親の好きなアイスクリームやあんころ餅を食べながら一緒にテレビを見たり、レンタルショップで借りてきた、やはり母の好きな「寅さん」や「渡鬼」を一緒に見たりする。仕事とかたまの飲み会を除き、ほぼ皆勤賞だったと思う。

これも母親を施設に入れた後ろめたさがあって、「見捨てたわけじゃないよ」というのを母親に、そして自分に言い訳したかったんだと思う。今思うと、母親もまだらボケみたいな症状だったので、正気の時間もあったはず。その時何を考えていたのかと思うと、忸怩たるものがある。人並み以上には頑張ったつもりだが、介護はどこまでいっても後悔がつきまとうものだと思う。

●母の死

そして施設に入って1年半後、母が急逝した。食堂で朝食を食べてコーヒーを飲み、車椅子でベッドに移すときにヘルパーさんが息をしていないのに気がついた。母親の友人たちに連絡したが「こう言っては申し訳ないけど、羨ましい亡くなり方ね」という人が多かった。

3年半続いた介護生活が、こうして終わった。この間の教訓。役所は自分で道を見つけないと扉を開いてはくれない。何兆円もかけたいろんな制度や施設があって、ハンデを持った人は利用する権利があるのだけれど、役所は広報で知らせる程度で、積極的に呼び込みはしない。来る者拒まず、という姿勢。ケアマネージャーも介護は相談に乗ってくれるが、身体障害になるとアドバイスできない。役所の窓口も違う。ついでに特別養護老人ホームの入所にあたっても、身体障害は考査の対象にはならない。申込時に話しても、まったく相手にされなかった。

役所とのやり取りは、若い頃それが仕事だったので苦にならなかったが、それでも結構面倒だった。慣れてない人は大変だろうと思う。介護、障害両方を見られるアドバイザーが身近に必要だ。見ていると近所や友人同士の情報交換が、その代役を果たしているようだが、何とかならないものだろうか。

 

そして逆打ちへ。

●やっぱり意外に大変。

今回も直前までうろうろ悩んだ。特に最近自転車に載っていないので、四国の山を登れるかが不安だった。ただGWが近づいてくるにつれて、なんとなく諦めと気合が入ってきた。で、いろいろあって(細かなことは忘れた)出かけることになった。

ただ今回は逆打ちにすることにした。別にうるう年だからというわけではなく、前と同じ景色を眺める気にならなかったからだ。歩きも考えたが、最近、10数km歩くと膝が痛くなるし、友人が半年前に歩きへんろに出たばかり。その後を追うのも癪に触る。というわけで自転車の逆打ちとなった。

しかし1回目を回った時点では、ちょっと反省した。思ったより難しい。僕自身、地図が読めなくなってきたこともあるが、へんろマークがないのがこれほど大変とは思わなかった。それは1回目のへんろ記を読んでいただければわかると思う。

その他、これは逆打ちのせいなのかわからないが、逆風が強くて参った。これだけで難易度が1ぐらい上がった。たまたま今年だけなのか、あるいは香川−愛媛ルートの特性なのか不明。次回行けばわかると思う。

■今回のおへんろ装備

(この項、思い出すたび随時追加あり)

●自転車:ラレー・クラブスポーツ改
  (フェンダーを外してリヤカセットを11-30に交換しただけ)

新しい装備はiPhone。トップチューブバッグに携帯電源を入れ、電池が減ったら給電。

●その他の装備。
モンベルの大型ウエストバッグとレインカバー。モンベルのコンパクトリンコウバッグ。アンダーパンツとレーパン各1、半袖ジャージ2枚。アームウォーマー、雨具。防水キャップ、防水シューズカバー、Tシャツ2枚(不要だった)。タイヤチューブ2本、パンク修理キット、携帯ポンプ、軍手はサドルバッグに入れる。 SPDシューズ(直前に購入した。スペシャライズド製でデザインも機能もいいが、高いのとクリートが緩むのが難点)。

●参拝関係
灯明1箱弱、線香半箱強(ともに使いかけ)。灯明は足りなくて、途中で買い足す。納経帳(逆打ち用)、御影札入れ(以前、整理不足でcyokoさんにご迷惑をかけたので)。納め札、経本、賽銭袋など。

おっちょこちょいで買ってしまった逆打ち用納経帳。来年になったらどうするんだ、普通のを買っとけばよかったと後悔。もちろん使いますけどね。
「うるう年は逆打ち」キャンペーン?で、香川の札所は納経するとオマケでオリジナル散華がついてきた。
・・・・・・。
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