自転車なお遍路イメージ
2005年
はじめに
9月15日(1-12番)
9月23日(13-21+54番)
10月9日(22-34番)
2006年
3月21日(33-43番)
11月25日(44-49番)
2007年
1月4日(49-61番)
1月5日(62-72+74番)
2月12日(73-77・80・81番)
3月4日(78・79・82-86番)
3月31日(87・5・88番)

■今回は車を使って半田まで。<05年9月23日>

自宅出発

(09:30/0.0km)

朝9時、自宅を自動車で出発。今回は自動車で半田まで行くことにする。輪行も考えたが、名古屋の地下鉄、名鉄ともに車両が狭い。自転車など持ち込んだら顰蹙ものだろう。それで車、ということになった。

自転車は前日のうちに車に積み込んだ。4ドアセダンなので、積み込みには苦労した。結局ペダルを外し、ハンドルを緩めてフレームと並行にして、自動車のトランクになんとか押し込むことが出来た。これでタイヤを外して袋にいれれば、輪行と同じだ。

目的地は21番札所の常楽寺。四国でいえば太龍寺にあたるが、同様に地元でも有名な大きなお寺だという。そのため頼めば車を置かせてもらえるのでは、と考えたからだ。

今回から特に順打ちにもこだわっていない。というか、5番を外した時点であんまり関係なくなったような気がする。

■寺宝のご開帳に出くわす。

第二十一番霊場「常楽寺」

(10:35/0.0km)

1時間半ほどで「常楽寺」着。高速なら30分ほどだが、名古屋の高速は高いのでパス。自転車なら2時間半くらいかかるだろう。

「常楽寺」の第2駐車場というのが入りやすかったので、そこに車を停める。お彼岸のためか、人出が多い。駐車場もほぼ満車状態。まずはお参りをする。

これまでになく広壮な寺院だ

境内には何張りかのテントが出ている。テントには「虫供養」という紙が下がっている。どうやらこのお寺に納められている寺宝の「虫干し」も兼ねたご開帳科と思う。それぞれのテントに曼荼羅や掛け軸などがいくつか飾られ、番をするように檀家の人が詰めている。お茶のお接待もあるようだ。

ゆっくり見てみたい気もしたが、あんまり知識も審美眼もないのでとりあえず写真を撮って、前を通り過ぎるだけ。

大きいお寺だけに
曼荼羅や掛け軸の数は多い
寺宝の前で近所の人がなごんでいる

弘法堂に参ろうとすると、何だかやけにさびしい。おまけにガラス戸が閉まっている。開けてみると中は何もなくて、がらんとしている。首をひねっていると、参拝に来ていた女性が声をかけてくれた。
「弘法堂は、お隣にありますよ」
お礼を言って隣を見ると、なるほど、弘法堂の隣の高い所にお堂はあった。お堂まではキャットウォークというか、渡り板を登る。なかなか風変わりで面白い。

仮の弘法堂も賑わっている

参拝を済ませて納経所へ。ここの納経所は常に人が詰めているようだ。知多四国では珍しい。それだけ参拝の人も多いのだろう。納経してもらって、ついでに車をおかせていただけないか、尋ねてみた。納経所の男性は「駐車場に停めてあるの?いいですよ」と快く停めさせてくれた。この日は込んでいたので、ちょっと恐縮してお礼を言う。

駐車場にもどり、自転車を引きずり出して組み立てる。11時15分出発。

■納経帳に名前を書いていただく。

第二十番霊場「龍台院」

(11:30/2.6km)

ここから戻り打ちとなる。「龍台院」は半田市内の中心部近くにあるお寺。お祭でもあるのか、人が集まっていた。街の中でお寺がわかりにくかった。祭礼に集まっている人に場所をたずねた。やはりすぐ近く。お礼を言って走り出した背中に、座り込んでいたおじいさんが声をかけてくれた。「お参りか。ご苦労さん」。

「龍台院」は町中にも関わらず、木がうっそうと茂り、昼なお暗き、といった雰囲気だ。中庭には鶴の置物が目を引。

庭には鶴の置物が舞っている

お参りをすませ、納経所を探していると、建物の中から声がした。「入りなさい」。中の納経所には袈裟をつけ、正装したご住職がいた。納経帳を手に取ると朱印を押してくれた。そして納経帖の裏をみた。僕の納経帖は一番安いもので、表紙も白紙に印刷したもの。裏表紙は真っ白だ。

白い裏表紙をしげしげ見ていたご住職が行った。
「住所と名前を書いてあげよう。住所をいいなさい」

一瞬とまどったが、ご住職が墨をすり、筆を取り出したのであわてて住所氏名を言った。ご住職は達者な筆先で住所氏名を書き上げ、最後に鶴の朱印を押してくれる。

「この鶴には何か意味があるんですか?」尋ねてみた。
「本四国の二十番さんも鶴だからな」。

そうだ、四国の二十番は鶴林寺。この「龍台寺」の庭の鶴も、鶴林寺にゆかりのあるものだろう。納得。ご住職にありがたくお礼を言って寺を出た。最後に「汚さないように」と言われたが、自転車で回っているとこれはなかなか難しかった。後日ブックカバーを買った。

知多を回っていて初めてのお接待だ。納め札も喜捨も渡さず来てしまったが。

11時45分出発。

■酒蔵の町のお寺。

第十九番霊場「光照院」

(11:55/3.9km)

さらに半田の市街地に入っていく。地図を頼りに進むと黒い壁の建物が見えてきた。ミツカンのブランドで有名な、中埜酢店の酒造部門のようだ。「国盛」という酒で、ご当地では有名である。

「光照院」はそのすぐ近くにあった。ゆたかな雰囲気の、大きな寺院だ。お彼岸の行事でもあったのか、近所の人が大勢集まっていた。

納経が終わってヘルメットをかぶり、自転車にまたがったら、小学生らしい女の子が不思議そうな顔をしてこちらを眺めていた。む、やはりこのいでたちは異様なのか。

12時10分出発。

半田は豊かなのか、大きな寺院が多い

■山塞のような、どっしりした構え。

第十八番霊場「光照寺」

(12:20/5.5km)

半田大橋を渡る。この橋の手前は、戦前はビール会社や酒造会社などが立ち並ぶ、半田の町の中心だったようだ。町並みがなんとなく雅ている。橋を過ぎると、今度は下町っぽい雰囲気となる。

その町の奥に光照寺がある。どっしりとした、落ち着いた佇まいだ。しかし18番光照寺と19番光照院。ややこしい。

短い石段を登って寺内に入る。建物に囲まれた庭から回りを見ると、まるで砦の中にいるような気分だ。宗派は、名古屋でもあまり目にしない時宗。寺の造りと関係があるのだろうか。

小さな城郭のような佇まいだ

■ここでも寺宝を見ることができた。

番外霊場 清涼山奥の院「海蔵寺」

(13:00/8.8km)

清涼山といえば、一番霊場が「清涼山曹源寺」だ。その奥の院になるのだろうか?距離的にはかなり離れているが。

道は市街地を抜け、周囲は徐々に鄙びてくる。そんな中に「海蔵寺」はあった。お寺の敷地は広い。

敷地、というか駐車場が広い

ここでも寺宝のご開帳が行われていた。こちらは「常楽寺」以上に虫干しという感じだ。本堂の外壁にいろんな仏画がかけられている。鑑定団的な価値はわからないが、眺めていると飽きない。

ゆっくり見ていたかったが、日差しもきつく、人も多かったのですぐに失礼した。

13時15分出発。

曼荼羅も何枚か置かれている
ところ狭しと並ぶ海蔵寺の寺宝。
数も多く、見ごたえがある

<昼食>今日は食欲がある。

(13:20/9.4km)

この頃になると暑さも増してきて、空腹を覚える。「海蔵寺」を出てちょっと走ると喫茶店があった。

ランチはカツカレー。普段ならばてて、脂っこいものはつらいのだが、今日は食欲をそそった。体調がいいのかもしれない。トンカツもカレーも量があったが、美味しくいただいた。満足。

この喫茶店は、昼間は2時で終わりらしい。2時になるとカーテンを閉め、従業員が集まって、お昼を食べ始めた。

とはいっても、ゆっくり休めた。14時5分出発。

■さんざん道に迷う。

第五十四番霊場「海潮院」

(15:05/15.6km)

喫茶店を出て走り出す。途中までは快調だったが、1本道を勘違いして、反対方向に走ってしまった。コンビニで道を尋ねても要領を得ないし、周囲は工業地帯で歩いている人も商店も見あたらない。

これが自転車の悪い所なのだけれど、周辺を無駄にぐるぐる走り回った。全然わからない。変だなぁ。最後の最後に選んだ道の先に、ようやく「海潮院」が見つかった。地図を見直したら、旧道とバイパスを間違えて走っていた。長かった。1時間も走ってしまった。本来なら15分もあれば着くところなのに。

逆打ちで回っているので、本来なら17番へ向かうところなのだが、どういうわけか54番が途中にある。53番、55番は、ずっと離れた伊勢湾側の、それも半島の先端近くにある。このあたりは三河湾側だ。なぜこんな配置になるのかわからない。きっと理由があるのだろう。

お寺の納経所で納経してくれた若いお坊さんに、思わず「遠いですね、ここは」と言ってしまった。お坊さんは不思議そうな顔をしていた。そりゃそうだ。迷わなければ、全然遠くないのだから。

15時15分出発。

■前回、打ち切った札所。これでつながる。

第十二番霊場「福住寺」

(15:35/19.7km)

「海潮院」を出て、そのまま「福住寺」に向かう。急ぎすぎて、番外霊場「東光寺」を素通りしてしまった。これはあらためて来るしかない。失敗失敗。

町を走っていて、以前この町に来たことがあることに気づいた。知多は山車が数多く残っていて、祭りには山車が何台も繰り出す。ここ乙川(おっかわ)は、その中でも山車が沢山残っており、その山車揃えを見物に来たのだ。10年以上前のことだ。

半田から阿久比に向かって走る。「かみや美術館」を目印に走ると、意外に速く「福住寺」に着いた。一度走った道はわかりやすい。あらためて参拝し、納経帖に重ね印をもらう。

15時50分出発。

■誇らしげな真新しい山門。

第十三番霊場「安楽寺」

(16:35/26.2km)

ここから、知多中央道の阿久比インター方面目指して走る。前回休んだサンクスまで走り、そこで今回も休憩。涼しい店内で15分ほど休むと、元気がもどってきた。ついでに調子に乗って、阿久比インターまで走って、来すぎたのに気づいた。もっと手前で、旧道を走らなくてはいけなかったのだ。

慌てて戻り、途中の交差点を折れてなんとか「安楽寺」にたどり着く。

お寺は、小さな川にかかった橋を渡った所にあった。真新しい山門が目を引く。こうして少しずつメンテナンスしていくのだろうが、檀家などからの寄付集めも大変だろう。山門の前の「落慶法要」という立て札に、ご住職の苦労と、一つの事業を仕上げた誇り、達成感のようなものが感じられる。

16時45分出発。

橋の向こうに建つ、真新しい山門

■そろそろ陽が翳ってきた。

第十四番霊場「興昌寺」

(16:57/26.8kmkm)

ほんの少し走ると「興昌寺」があった。銅葺きの本堂の屋根が美しい。

これだけ近いと、走っている時間より、鍵をかったりメモをしたりの時間の方が多くなってしまう。このお寺の山門脇には、知多四国の設立に尽力した岡戸半蔵を祭るお堂があった. 岡戸半蔵はこのあたりの富農の出身のようだ。

そろそろ日暮時。そそくさと参拝を済ませ、17時5分、出発。

遠くからも目立つ銅葺きの甍

■秋の陽は釣瓶落し。

第十五番霊場「洞雲院」

(17:15/28.5km)

名鉄「坂部」の駅の脇を通り、そのまま県道を突っ切って正面に見える小高い丘を目指す。

その丘の上に「洞雲院」がある。麓ではお祭りがあるのか、大勢の人が法被を着て集まっていた。もう顔が見分けられないくらい薄暗くなってきた。

坂を登ると標識があった。おかげで探す時間が節約できた。急いでお参りを済ませる。

17時25分、出発。

■そろそろタイムアップが近づいてきた。

第十六番霊場「平泉寺」

(17:40/30.9km)

知多四国の納経時間は、3月から9月までは午前7時から午後6時まで。本四国(こちらではお四国をこう呼ぶ)に比べ1時間長い。

それにしても、そろそろ時間が厳しい。

大急ぎで参拝を済ませ、次に向かおうとする。ご住職が納経をしてくれて、「歩きですか?」と話しかけてきた。
「いや、自転車です」
「そうですか。私は年1回、知多を歩くようにしてるんですよ」
自ら歩き遍路をするご住職に出会うのは初めてだ。話を聞けるだけで結構うれしい。

ご住職は全て歩きで回るのではなく、名鉄を使った区切り打ちのようだった。じっくりお話を聞きたかったのだが時間がない。次回のことも考え、次の「観音寺」だけは打っておかないととあせる。なんだか、本末転倒だなあ。

話もそこそこに寺を後にする。

17時50分出発。

駐車場から上がった所にある弘法堂

■今回はここで区切り。

第十七番霊場「観音寺」

(17:55/31.2km)

今度も丘を下り、また登る。人か自転車しか通れないような道をたどってお寺にたどり着く。先に納経をお願いして、お参りする。

弘法堂は、すでに扉が閉められ、鍵がかかっていた。それより困ったのは、暗くて経本が読めない。まだ般若心経は暗記していないので、暗いとお手上げだ。

それでも外灯に近づき、何とかお経をあげ、お寺を出る。

18時10分だった。

夜の県道を常楽寺まで走る。

再度、第二十一番霊場「常楽寺」

(18:30/36.8km)

「観音寺」から「常楽寺」までは5kmほどあった。

主要道路だけに、歩道も照明もちゃんとしていて、日がとっぷり暮れてもそれほど不安なく走れた。

20分ほど走ると、「常楽寺」に着いた。

納経所にお礼を言おうと思ったが、さすがに閉っていた。自転車をたたんで車に押し込み、18時45分、自宅に向けて出発。

<自宅>

途中、東海市のコンビニでお茶を買った以外はノンストップで自宅に向かう。しかし、名古屋に入ってから道路工事でひどい渋滞。

自宅に着いたのは20時過ぎだった。

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