自転車なお遍路イメージ
2005年
はじめに
9月15日(1-12番)
9月23日(13-21+54番)
10月9日(22-34番)
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3月21日(33-43番)
11月25日(44-49番)
2007年
1月4日(49-61番)
1月5日(62-72+74番)
2月12日(73-77・80・81番)
3月4日(78・79・82-86番)
3月31日(87・5・88番)

■出発まで<06年11月25日>

またしても自転車トラブルで四国行きを断念

本当なら四国を回っているはずだったこの日、4回目の知多を回った。

今回もまた、最初に知多を回り始めた時と同じ、直前の自転車のトラブルに見舞われた。よほど日頃の心がけが悪いのだろう。

出かける当日の朝、調子の良くないフェンダー(泥除け)の調子を点検している時に、後輪を回すとブレーキと接触したり離れたするのを発見した。最初はブレーキシューのテンションの異常かとも思ったが、どうやら違うみたいだ。車輪=ホイールの歪み、いわゆる「振れ」である。

最初はそんな重大事とは思っていなかった。会社から四国に直行する予定だったので、荷物を持ってそのまま会社まで自転車に乗って行った。そして夕方。いよいよ出かける直前。念のため、後輪の具合をチェックする。

車輪の歪みがひどくなっている。これでは松山まで行っても、自転車屋探しと修理に半日はつぶれるだろう。しばし考えた後、中止を決断した。すぐに会社近くの旅行者で、乗車券をキャンセルする。JRの乗車券のキャンセル手数料は2.5%ぐらいだが、指定席特急券は30%。おかげでキャンセル手数料2200円もとられてしまった。

しかし、普段は車輪の歪みなどチェックもしないのに、フェンダーのトラブルがあったとはいえ、今回に限って気がついたのは不思議としかいいようがない。

翌日自転車屋でみてもらったところ、車輪の歪みの原因は、自転車の後輪のスポーク(車輪の軸から放射線状に伸びた針金)の1本が折れていたことだ。1本だけなら何とか走れるが、タイヤを支える力のバランスが崩れるため、すぐに歪みが広がって他のスポークが折れるなどのトラブルにつながる。

中止して大正解だった。

そんなわけで、今回もマウンテンバイクで知多四国へ出かけることにする。

■今回も車を利用。

自宅出発

(08:50)

前日のうちに、自転車を積み込んでおいたため、車に乗ってすぐに出発する。それでも準備不足がいろいろあった。まず、錠を忘れた。これがないと、食事の時など、安心して自転車を置いておけない。常滑に入ったところにあるホームセンターに入り、錠を買う。そんな中、突然仕事の電話が入ったりして、思わぬ時間をくってしまう。

駐車場出発

(10:36)

駐車場のあてはないが、名鉄の駅近くにはコインパーキングがあるだろうと踏んで、常滑駅方面を探してみた。するとやっぱり駅の高架下に名鉄系のコインパーキングが見つかった。1時間100円。1日900円で打ち切り。リーズナブルな価格なのでここに決めて車を停める。

自転車を引き出して、5分ほどで組み立てる。10時36分、今回の巡礼を開始する。

走り始めてすぐ、トイレに行きたくなる。10分ほど走ったところでコンビニを見つけ、中に入る。トイレを済ませて外に出ると、40年輩の男性が自転車で走り出そうとしている。

「どちらからですか?」と声をかけてみる。 「半田からです」 「知多一周ですか?」 「いやぁとんでもない。散歩がてら走ってるだけです」

お互い、気をつけてと言い合って別れる。

サイコンのトラブル発生

しばらく走っていると、サイクルコンピュータ(サイコン=スピードメーターみたいなもの)が点滅しているのに気づいた。電池切れだ。まだ持つだろうと思って走っていると、スピード表示が途切れたりする。うーん、これは危ないかもしれない。ちょうど通りかかったコンビニでボタン電池を買う。

交換そのものは簡単だったが、そこではたと困った。初期設定をしなおさないといけないのだが、その方法を忘れてしまった。僕のサイコンは足の回転数もカウントするタイプで、設定もややこしい。まさか電池が切れるとは思っても見なかったので、マニュアルも持って来ていない。

コンビニの駐車場で15分ほど悪戦苦闘する。その横を、歩きの巡礼らしい年輩の男性が通り過ぎていく。

結局、設定はあきらめた。このため、今回は距離のカウントはなしとなった。その後帰宅してマニュアルを見たら、すごく簡単だった。情けなや。

ここでもまた時間をロスする。

11時25分、出発。

■思った以上にあった出発地までの距離。

第四十三番霊場「岩屋寺」

(13:15)

今回は、前回打ち切った岩屋寺からの出発になる。しかし常滑から岩屋寺のある山海までは、思っていた以上に距離があった。

11時40分、常滑市から美浜町に入る。12時には海水浴場である小野浦を通り過ぎる。この辺りから海沿いの道が続く。

途中、ロードバイクとすれ違うが、気合を入れてペダルを踏むロード乗りは知らん顔をして走りすぎる。しばらくするとクロスバイクとすれ違う。目があうとニコッと笑う。こちらも嬉くなって手を振る。

12時30分、ようやく岩屋寺への入り口、山海(やまみ)に到着する。そろそろお腹も減ってきたし、この先は確か飲食店やコンビニはなかったので、山海交差点角の喫茶店に入る。

ツーリングの時の食事は、うどんやスパゲティなどの炭水化物系の食べ物が一番いいらしいが、喫茶店に入ると、ついランチを注文してしまう。今回はやめておこうと思ってメニューを眺める。するとママさんが「今日のランチは味噌カツです」という。そうだなぁ、お店にしてみればランチを出してるほうが楽だよな。

というわけでランチを頼む。味噌カツはともかく、筍と地元で採れたらしい昆布の煮付けが美味しかった。こうした一品に出会えるのがランチのいいところだ。

30分で食べ終わって外へ出る。街灯にくくりつけておいた自転車の錠を外していると、作業服を着た二人連れが、喫茶店の駐車場に軽トラックを停めて降りてきた。そのうちの一人が小走りに近づいてきた。

「あれ!この自転車、ステーが1本しかない!」と素っ頓狂な声をあげた。一瞬、へんな人かと思って身構えたら、フロントフォークが1本しかない僕の自転車に、本当に驚いたらしい。もう一人の相棒も近づいてきて、「ほう」とか言いながら自転車を眺めだす。このお二人、なんとなく昔のテレビドラマ、「前略おふくろ様」に出てきた川谷拓三と室田日出男を思い出させる。もちろん風貌はまったく似ていないけど雰囲気が。最初に声をかけてきた方が川谷拓三氏だ。

ちょっと話をして、出発しようとすると室田氏が「めずらしい自転車だから気をつけた方がいいよ。地元の人は大丈夫だけど、街から来る人も多いからね」と本当に心配そうに注意してくれた。お礼を言って出発する。

そこから岩屋寺までは15分。軽い登り坂を快調に走る。本堂の中にある弘法堂(!)にお参りして、区切り再開のご挨拶をする。ついでに奥の院にも参拝する。奥の院入り口には、近所の農家の人が野菜を並べて売っていた。そんなに参拝者が多いのだろうか?

13時40分、出発。

今回は岩屋寺からスタート

■知多にもなかなかの坂があった。

第四十四番霊場「大宝寺」

(14:15)

岩屋寺から大宝寺。これはこの春、四国で四十五番岩屋寺−四十四番大宝寺と回ったのと同じだ。知多四国の場合は四十三番岩屋寺、四十四番大宝寺となるが。岩屋寺から山海近くまで一度戻る、打ち戻りのコースとなる。今回は間違えて、山海まで戻ってしまった。山海の食堂の駐車場に珍しい幟を見つけた。「知多四国霊場協賛店」。納経帳でも持っていると割引になるのだろうか。

食堂の駐車場で見つけた
「知多四国霊場協賛店」の幟

そこから田んぼの中を走り、やがて道は山を登り始める。峠道だ。といっても知多の坂なので、それほどたいしたことはない。ただ油断していたので、思った以上に長い登りに、うまくペダルのリズムがつかめない。ぜいぜいいいながら何とか登る。高さ数十m程の峠から回りをみると、遅い紅葉が広がりはじめていた。

さすがに11月末ともなれば
紅葉が見られる

そこから下って、最後にまた少し登ると大宝寺に到着する。この間、1台の車にも出会わなかった。まるで四国の遍路道を走っているようだった。

大宝寺の入り口には大きな観音像が立つ。もくれん観音というらしいが、由来はよくわからず。山門を入ったところには「もくれん茶屋」という茶店があった。知多四国の札所で茶店を見るのは初めてだ。ただこの日は営業していなかった。やはり季節や日柄を選ぶのだろう。

知多には珍しい札所の茶店

大宝寺の納経所は最初からセルフサービス。マニュアルのような紙が張り出してある。それに従って朱印を押していたら、最後の大宝寺の各印を押し間違えた。やはり不器用だ。

14時25分、出発。

仏足石などもあり、雰囲気のある札所だった
朱印の押し方マニュアル
もちろん100円は必要

■坂の上の寺

第四十五番霊場「泉蔵院」

(14:35)

大宝寺を出て坂を下っていると、白衣を着たご夫婦に出会う。歩いているようだ。先を歩くご主人にご挨拶すると「(札所は)まだ先だよねー」と疲れたような声で聞かれる。「いやもうすぐですよ」と返事をして、あっという間にすれ違う。奥さんの方が元気そうに、にこにこ笑っていた。

すぐに集落に入る。小さな川沿いに進んでいくと国道に出る。地図にはそこからまた集落の裏手の細い路地を歩くようになっている。ちょっと不安だったので、通りがかった僕と同年輩くらいの女性に尋ねる。

「うーん、この道でも行けるけど・・・まだ大分向こうだから、その先で聞いて」という。どうやら分かりにくいルートのようだ。

「国道から行った方がわかりやすいですか?」と聞きなおしてみる。 「そうね。国道をまっすぐいって、急カーブの角がそのお寺だから」。女性はほっとしたように言う。なるほど。

知多四国霊場会の幟のおかげで、泉蔵院の入り口はすぐに見つかった。国道から急な坂があって、その上だ。横断歩道橋ぐらいの傾斜だ。ギヤを一番軽くして登る。

ここでは坂を登るのに注力しすぎて、写真を撮るのを忘れてしまった。納経所の奥さんは感じがよかった。

14時45分出発。

■内海(うつみ)の街中の広壮な札所。

第四十六番霊場「如意輪寺」

(14:50)

今来た国道を少しもどって街中に入ると、如意輪寺はすぐに見つかった。敷地も広く、建物も大きい。ただ、庭は砂利を敷き詰めただけなので、趣はあまりない。

お参りをして納経所に行き、呼び鈴を押す。すると奥のコタツで寝ていたおばあさんがゆっくり起きてきて、きれいな標準語で「どうもお待たせしました」と言って納経してくれる。昼寝の邪魔をしてしまったような気がして、少々恐縮してしまう。

15時5分、出発。

張り出されている
朱印の押し方マニュアル

■白衣の歩き巡礼と出会う。

第四十七番霊場「持宝院」

(15:17)

地図で確認しながら走る。しかしどうも違う道を走っているようだ。歩いてきた男性に尋ねる。

「持宝院はこっちでいいでしょうか?」
「持宝院?知らんなあ」

あわてて地図を見せると、

「ああ、山寺か。それなら全然道が違うわ」

どうやら90度間違えて走っていたようだ。それに持宝院は「山寺」と呼ばれているらしい。四国二十五番の津照寺を「津寺」、三十二番禅師峰寺を「峰寺」と呼ぶのと同じだろう。その男性は噛んで含めるように丁寧に道を教えてくれた。よっぽど頼りなさそうに見えたのだろう。まあ、事実だから仕方がない。

名鉄の内海駅を通り越してしばらく行くと、立派な石柱が見える。その背後の山の中腹に屋根が見える。あれが持宝院らしい。

山の中腹に小さく見えるのが
持宝院の屋根

自転車を降りて、引っ張りながら歩く。沼のような池があり、中央の島には弁天様が祭ってある。周囲は緑が濃く、今までの知多の札所とは感じが違う。岩屋寺奥の院に近い雰囲気がある。長い石段の下に自転車を停めて、階段を登る。

登りきった所にある持宝院は、山の緑に抱かれるようにして建っていた。確かに山寺と言われるだけある。もちろん市街地近くの低い山の山腹だから、焼山寺や太龍寺、神峯寺などの四国の山寺とはスケールが違うが、心が落ち着く。

山の上にありながら庭や建物も清潔に保たれ、ご住職も親切だった。特にトイレがきれいだったのは嬉しかった。

右奥に見えるのがトイレ
全体に清潔な雰囲気だった

納経が終わって石段を降りたところで、菅笠、白衣、金剛杖の巡礼がやってきた。白衣までは知多でも見るが、菅笠、金剛杖の巡礼は初めて会った。つい声をかけてしまった。60年輩の男性だ。

「区切り打ちですか?」
「いやあ、日曜日ごとに電車で来て回ってるんですよ」などと話す。

話し終えるとその男性は、石段を駆け足で登っていった。かなり鍛えている人のようだ。

階段を駆け上っていく
お元気な白衣の巡礼

15時37分、出発。

■知多四国、直伝弘法、ふたつの霊場。

第四十八番霊場「良参寺」

(16:04)

一度県道に戻る。途中、哲学者の梅原猛の実家というのがあった。ちょっと覗いて見るが普通の家だった。当たり前だが。

ちょっと小腹が減ったので、コンビニを探す。ローソンが見つかったので、おにぎりを1つ買う。駐車場で食べて、また走り出す。

良参寺はすぐに見つかった。大きな鐘楼などもある、立派な札所だ。庭には古い巨木がそびえている。植物はまったくわからないので、何の木かは不明だが。

ここは知多四国の霊場であるだけでなく、直伝弘法の霊場でもあるようだ。

よく見ると左端の幟の色が青い
これが直伝弘法の幟

参拝しようとして、線香や灯明を入れたケースがないことに気づいた。またやってしまった。持宝院に忘れてきたようだ。以後、線香と灯明なしで参拝する。

※後で電話したら、やはり持宝院にあった。次の巡拝の時に取りにいく。

参拝した後、寺内を歩いていたら、山本音吉の墓があると書かれた看板を発見した。山本音吉は「にっぽん音吉漂流記」(春名徹)のモデルになった人物で、ジョン万次郎同様、幕末期、漂流して外国船に助けられるが、万次郎と違って帰国がかなわず、シンガポールで客死する。近年、その墓がシンガポールで見つかり、遺骨がこの寺に里帰りしたようだ。

このパネルの奥に慰霊碑などがある

16時14分、出発。

■日暮れて心細い「こうぼう道」。

第四十九番霊場「吉祥寺」

(16:26)

歩き用の地図は、国道や県道を通らない、ショートカットの道になっている。その地図に従って走る。やがて道は山の中に分け入り、道幅も1mほどになる。かろうじてコンクリート舗装がされているのと、地元の人のボランティアだろう、枯葉が掃除されているので、かろうじて安心して走れる。

しかし4時すぎて、あたりは薄暗くなってきた。人っ子ひとり居ない山道をただ走る。道を間違えてないだろうか?途中で止まって地図で確認する。地図には「山道」と書いてある。どうやら正しいようだ。

そのうち坂を登りきると、舗装が途切れた。シングルトラックの山道だ。まさにマウンテンバイクのトレイルライドにもってこいの道だ。知っていたらブロックタイヤをはめてきたのだが。しかし心細いには変わりはない。

やがて地図にあった「ため池」が見えてきた。管理棟のようなコンクリートの建物も見える。そしてついに、普通のアスファルト道路に出た。道路では女の子が犬を散歩させている。ほっとする景色だ。時計を見ると、なんとたった十分あまり。随分長い時間、山の中をさまよってい気がしたのだが。

山門の前でほっと一息つく

吉祥寺の参拝を終えると4時半過ぎ。次の札所まで行けないことはないが、常滑までの帰りが真っ暗になってしまう。今回はここで区切ることにする。

今回の区切りとなる
吉祥寺の大師堂

16時36分、出発。

■暗い夜道はおそろしい。

国道247号を急いで常滑に向かう。しかし走っているうちにあたりは暗くなってくる。途中で、完全に暗くなった。国道の街灯も少なく、暗くて怖い。段差とかあってもまったくわからないからだ。自動車の数が少ないのが、救いといえば救いだ。

結局1時間半かかって、出発地点の常滑駅にたどりつく。到着時間、18時10分。今回は駐車場が遠すぎた。次回からはもう少し考えないと。

帰宅したのは8時近かった。

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