自転車なお遍路イメージ
2005年
はじめに
9月15日(1-12番)
9月23日(13-21+54番)
10月9日(22-34番)
2006年
3月21日(33-43番)
11月25日(44-49番)
2007年
1月4日(49-61番)
1月5日(62-72+74番)
2月12日(73-77・80・81番)
3月4日(78・79・82-86番)
3月31日(87・5・88番)

■いよいよ結願へ! <07年3月31日>

そう急ぐことはないという気持ちと、ゴールデンウィークに予定している四国遍路までに結願しなくては、という気持ちがあって、なんだか不安定な気分だ。

ただ天候の方も結構不安定なので、いけるときに行っておかないと困るかも、ということで、なんとか天気がもちそうな今日、チャレンジすることにした。

■春巡礼で札所もにぎやかだ

第八十六番霊場「観音寺」

(12:55/19.3km/累計19.3km)

前回区切った札所だ。

集落の中にあって分かりにくいが、二回目なので迷わずに到着。前回の静かな雰囲気とは打って変わって、続々と参拝客が詰めかけている。といっても、十数人程度の団体が何組かいる程度だが。

観音寺の駐車場は丘の下にあり、知多の札所にしては長くて急な坂を登って来なくてはならない。通常はエネルギーの塊のような年輩の女性参拝者たちも、本堂の前にたどりつくと息絶えだえだ。それでもお経をあげて、そそくさと去っていく。風呂敷いっぱいの納経帳を抱えた添乗員も四国を思い出させる。

その添乗員を見て一瞬身構えたが、よく考えたら知多は朱印を押すだけ。人数もしれている。案の定、納経所はすぐに空いた。それに考えたら、この札所では区切り始めのご挨拶だけで納経はしなかった。どちらにしても影響はなかったわけだ。

ついでに中をゆっくり見て回る。前回気がつかなかった「お砂踏み」を見つけた。「阿波国」「土佐国」「伊予国」「讃岐国」に分かれて砂が敷かれている。眺めただけでトライはしなかった。

なかなか立派なお砂踏み

13時8分出発。

■新しい本堂に新しい石段

第五番霊場「地蔵寺」

(13:25/3.9km/累計23.2km)

ここで最初に残した5番地蔵寺へ向かう。後から考えれば、歩きならいざしらず、自転車の場合無理して残す必要もなかったのだが。

地蔵寺までの道は、距離はちょっとあるが比較的分かりやすい。地図に従って裏道を走ってみる。が、やっぱり失敗。無理して走ることはなかった。途中、観音寺へ向かう時にすれ違った白衣の巡礼を追い越した。歩きなれているようで、随分足が速い。

本家四国も5番は地蔵寺で同じだ。しかし本家に比べて小ぢんまりしているのは当然として、随所に新しさが目立つ。本堂もまだ出来立て。山門へ続く石段もピカピカだ。

出来立ての石段に新築の本堂
大師堂はまだ昔のままで
なぜかこの方があり難い

参拝を終えて納経所へ向かうと、呼ばないのにガラリと窓が開いた。多分、ご住職の奥さんだろう。この時期は納経者が多いので、納経所に常駐(?)しているのか。

地図などを眺めて次の札所へ回る準備をしていると、先ほどの白衣の巡礼が入ってきた。やがて読経の声が聞こえてきた。数少ない、きちんとお参りをしている人のようだ。

13時40分出発。

■だんだん気分も昂ってきた

第八十七番霊場「長寿寺」

(14:05/5.6km/累計28.8km)

最後の奥の院、八事山興正寺へ行くことを考えれば、88番を打ってから87番へ回るのが合理的だ。しかし最後はやはり88番で締めたいという気分があり、順打ちすることにした。

歩き地図は無視していったん広い通りに出て、そこから地図を見ながら進む。概ね道なりに走れば良さそうだ。途中の末広という三叉路でちょっと迷った以外は何の問題もなく88番近くについた。88番を右目に見ながら直進。伊勢湾岸自動車道や国道23号などをくぐる。

ここから本格的に地図頼り。大規模な団地やスーパーの横を抜けてしばらく走り、新幹線やJRの線路をくぐると広い通りにでる。その通りを大高方面に向かうと、白い幟が見えてきた。87番長寿寺だ。

結願にむけて気分が盛り上がってきた

87番に近づくに従って、気分は盛り上がってきた。本家四国なら感慨もあるだろうが、知多は身近すぎて何も感じないだろうと思ったが、そうでもないようだ。達成感とか充実感とは違う、なんとなくうきうきする気分だ。その勢いで長寿寺の山門前まで行く。

長寿寺の山門は、鐘楼も兼ねたもので、大きく形もいい。気持ちよく出迎えられたような気がして中に入る。自転車は担いで門をくぐり、裏側の邪魔にならない所にとめさせていただく。

カギをかけてふと見ると、茶店が出ている。知多で営業している茶店を見るのは初めてだ。しかしそれよりもまずお参りだ。

本堂もなかなか立派だ
この札所は建物全体のバランスがとともいい

本堂へお参りして弘法堂へ。手入れが行き届いていて気持ちがいいお堂だ。参拝を終え、納経所へ行くと、ここは最初から窓が開いていて、若い奥さんが幼い子供と一緒に座っていた。やはりこの時期は書き入れ時なのだろう。

緑に囲まれた弘法堂

さてお楽しみの茶店だ。檀家の婦人会が運営しているような気配で、女性しかいない。店先には手作りのお菓子などが並んでいる。ついでにクッションなども打っていた。食べ物はおでんとところてんがあるようなので、ところてんを頼む。220円。おでんだと一杯やりたくなってしまうので。

ところてんと熱いお茶が美味でした

食べながら、チーフ格の女性と話す。この茶店は3月21日から5月7日までやっているそうだ。5月7日は「ごしょうとう(御正当?)」の日で、毎年違うとのこと。臨済宗のお寺なので、栄西禅師の命日なのかな?秋はやらずに、春だけのイベントらしい。

そういえばこの茶店で、知多四国200周年の地図付きパンフレットをもらった。クルマで回るには便利かもしれない。事務局は63番大善院となっていた。ちなみにこのパンフレットには、納経の仕方なども簡単に書かれていた。

知多四国200周年のパンフレット

最後におからを干したあられと、梅干を干して芯にピーナツを入れたお菓子をお接待いただいた。どちらも変わった味で、美味しかった。ありがとうございます。

くつろいだ後、14時35分出発。

■終わりよければ・・・

第八十八番霊場「円通寺」

(14:50/4.4km/累計33.2km)

円通寺は横を通ってきたから道に迷うことはない。ただ上り坂になるのが厄介だ。キコキコペダルをふんでいると、白衣の巡礼とすれ違った。軽く会釈をしたが、わかってもらえたかどうか。

国道23号と伊勢湾岸自動車道をくぐって、すぐ左折すると円通寺につく。手前の坂を登りきって・・・ちょっとがっかりした。山門もないし、なんとはなしに荒涼とした雰囲気。しかし庫裏は新しく大きい。

意気込んで向かった最後の札所

閉口したのは大型犬が3匹いて、一斉に吠え立てるのだ。確かにヘルメットをかぶり、自転車を担いでいくので、犬にしてみたら怪しいやつだろうが、こちらは善意の参拝者なのだ。

弘法堂で経本を開き、開経偈をあげていたら、賽銭箱の向こうでなにやら動くものがある。目を上げると、ご本尊の前に女の子が一人座っていた。どうやら弘法堂も売店(お尻の病気封じのお札が主力商品)になっていて、その販売員らしい。といってもお寺の娘さんだろう。

しかし前に人の顔があってお経をあげるというのは、気が散るものである。僕のように下手っぴーな場合は特にだ。散々なお経をあげて、納経所に向かう。庭でぶらぶらしていたご住職は、僕が近づいていくのをみると納経所の中に入り、スタンバイしていた。手際よく朱印を押してくれて、そのまま、悪気もなくほいっと返してくれる。その後、帰り支度をしていたら、ご住職がくわえタバコでぶらぶら本堂から弘法堂を歩いている。

左側の弘法堂の中にお札の販売所が

というわけで、終わり良ければ、という結果にはならなかった。最初と最後の札所は、巡礼にとって88分の1ではない。もっと大きな比重があるのだ。87番と88番が逆だった良かったのに。そうすれば、もう少し納得できたと思う。

先ほどまでの高揚はどこへやら。ため息とともに、意気消沈の結願だ。

15時出発。

■満願

知多四国霊場総本山「八事山興正寺」

(16:05/13.4km/累計46.5km)

すっかり醒めた気分で円通寺を後にする。山門前の急坂をひゅんと下り、再び来た道を戻る。これで3回目になる伊勢湾岸自動車道と国道23号をくぐり、今回は広い道に沿って87番を目指す。途中、名古屋市との境界をわたる。しばらく走ると87番が見えてくる。よくよく考えたら、知多四国の中で唯一名古屋にあるのが87番長寿寺だ。名古屋がそれだけ膨張していった証だろう。

長寿寺の前を勢いよく、元気なく走る。やがて鳴海の古い町並みを抜けると、知多へ通う時に通る道に出て、そこからは一気に北上。

どんどん走って、飽きた頃、左折。旧国道153号を名古屋方面に向かう。

興正寺は学生街の中にある。境内にはスポーツ関係で有名な中京大学があるし、正面には作家の山口瞳も好んだ老舗旅館「八勝館(はっしょうかん)」などもある。

さすが奥の院、重厚さが違う

最初に目についた山門から入ったが、後で見たらこれは東門。自転車をかついでぐるぐる歩くが、境内は工事車両などが走り回っているので、馬鹿らしくなって僕も自転車で走る。その程度には広い境内だ。

寺内の道が弘法道のようだ

弘法堂、奥の院、大日如来堂にそれぞれ参拝し、最後に本堂に向かう。本堂では不思議な人を見る。風で消えた灯明を、1本1本、自分の灯明で火をつける。そして深く頭を下げる。sの間に灯明の火は風で消える。するとまた点ける。最敬礼をする。これを何度も繰り返す。ダスターコートにスーツ、足元はスニーカー。50年輩の、痩せたインテリ風の男性だ。なんとなく吉田聡のマンガ、「ジナス」を思い出す。

興正寺の本堂

参拝を終えて納経所へ。納経帳を出すと、「あら、初めて?」という。意味がわからず、怪訝な顔をしていると納経所の女性は最後のページを開き、白紙なのを確認した。どうやら興正寺での納経は初めてなのかという意味だったらしい。

女性はパンパンと朱印を3箇所押すと、筆を取り出して、丁寧に書き始めた。梵字はなし。漢字ばかりだ。四国の札所なら5人はこなすくらいの時間をかけて、ゆっくり丁寧に墨書してくれた。出来上がると、吸い取り紙替わりの新聞紙をはさみ、こちらに向けて丁寧に返してくれた。

時間をかけ、丁寧に書いてくれた
納経帳の最終ページ

納経料として300円を差し出すと女性は不思議そうな顔をして「多すぎますよ。100円です」という。知多四国では墨書は300円なのだが、興正寺はまた違うルールがあるようだ。あえて取材する気にもならなかったので、ありがたく頭をさげて失礼した。

これで満願だ。結願は今ひとつだったが、興正寺で取り返せた。僕のように88番で満足できない人は、事情が許すなら、ぜひその足で興正寺へ回ることをお奨めする。

最後に振り返って眺めた興正寺

16時45分、出発。

■これで一区切り

自宅

(16:20/7.3km/累計54.2km)

正門を出て写真を撮る。すると先ほどの灯明の男性がふらふらと歩いてきた。そして山門を出るとまた深く最敬礼し、そのまま静止している。頭をあげると本堂を一瞥し、そのまま歩き去った。僕も自転車に乗り込んだ。

ふと横を見ると仏具屋さんがあり、お遍路用品を売っている。ついふらふらと入って、灯明入れを買ってしまう。去年四国で買ったものは、ちょっとつかいにくいのだ。630円。安い。次回から、遍路用品はここで仕入れよう。

さて、次は四国遍路だ。

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