2006年
2007年
3月4日(78・79・82-86番)
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■あと少し <07年3月4日>自宅出発(11:25) 今回も、もう少し早く出るつもりだったが、結局出たのは11時半。近いと緊張感が薄れるのは事実だ。今回の自転車は、いつもどおりマウンテンバイクだ。歩道などを走るには、やはりフロントサスペンションの付いたマウンテンバイクが乗りやすいと思う。 いつもの道を通って知多へ向かう。もう何回目になるだろう。この道も随分慣れてきた。最初は遠いと思った知多も、慣れるに従って距離を感じなくなる。名和から新舞子を通り、一路南下する。今日はいつも走る道をそれて走ってみたが、けっこう走りやすい。247号のバイパスのようだが、最初からこの道を走ればよかった。喫茶店なども多いし。 とはいっても、気楽に走っているとまた道に迷いそうだ。東海市の外れあたりで、また247号に戻る。友人の会社の前を通ってしばらく行くと、81番龍蔵寺が見えてきた。
ここで区切りを始める報告に、弘法堂のお参りをする。その前に、輪袈裟を着け念珠を出し、弘法さんルックに変身する。弘法堂で区切り、区切った弘法堂から始める、というのが四国では比較的多いようだが、知多ではどうなんだろうか。 龍蔵寺ではお参りだけして、前回周り損ねた78番に向かう。 ■花やぎの札所第七十八番霊場「福生寺」(13:28/27.8km/累計27.8km) 走っていたら、前回道をたずねたコンビニがあった。これも何かの縁なので、休憩をかねてお茶を買う。一息ついてから、こちらと思った方向へ走ったら、見事に間違っていた。ちょっと早めに曲がりすぎた。未練がましくうろうろしてから、ようやく方向がわかった。 途中、目印のイトーヨーカ堂の場所を聞きながら走る。しばらく走って大きな交差点に出る。クルマや自転車で何回も通った交差点だ。直進や右折は何回もしたが、今回は一度も曲がったことがない左折だ。そしてちょっと行くと白い幟が見えた。福生寺だ。
小さな丘の上にたつ堂宇は、日当たりがいいせいもあるが、明るい雰囲気だった。何よりも目を引くのは、庭に植えられた色とりどりの花々。これまで見てきた札所は、和風の庭園が多かったが、こうした花壇のような庭もきれいでいい。
本堂・弘法堂は一つになっているが、その横の建物の窓が開いていて、中が見えた。ぎっしりと本棚が並んでいる。何かの資料庫なのだろうか。
お参りを終えて出るのとすれ違いに、マイクロバスが3台入ってきた。先に納経できたのはラッキーだった。 13時45分出発。 ■ブレークタイムさすがに空腹を覚えたので食事にする。福生寺の向かいにガストがあった。自転車を歩道に停め、中に入る。休日の昼時とあって中は混雑していた。トマトスパゲティを頼み、出てきたらかきこんですぐに出る。中があまりにもやかましかったため。やっぱりファミレスより、地元の喫茶店でも見つけるべきだった。 14時16分出発。 ■駐車場がやけにめだつ。第七十九番霊場「妙楽寺」(14:23/1.5km/累計29.3km) 来た道を戻る。先ほど通ってきただけに、妙楽寺の場所もなんとなく検討がつく。県道から左にそれてしばらく行くと、広い駐車場が見えた。妙楽寺だ。 この霊場は、知多四国の生みの親、亮山阿闍梨が住職を勤めていた寺院である。そのため七十九番霊場でもあり、また中に「開山所」という別格霊場がある。 ほぼ隣り合った建物が弘法堂であり、開山所になっている。それぞれお参りし、最後に納経所へ。朱印を2ページ分押してもらう。
14時37分出発。 ■インターミッション第八十番霊場「栖光院」(14:56/2.0km/累計31.3km) この札所は前回お参りしたのだが、あせっていたため写真を撮り忘れていた。そこで回るついでに寄って撮影。弘法堂でお経だけあげ、納経はせずに退散する。いつでも悩むのだけれど、こうした場合は、やはり重ね印で納経するのが正しいのだろうか。
参拝をした証という意味では、朱印を押してもらうべきなのだろうが、写真を撮りに寄ったついでにお経を上げたというのは、お参りなんだろうか、なんて考えてしまう。 15時07分出発。 ■山門も立派な、大きな札所。第八十二番霊場「観福寺」(15:26/4.5km/累計35.8km) 県道に戻り北上する。途中、右折し、名鉄の踏み切りを2つ渡り、郵便局の角を左折。しばらく行くと大きな寺院が見えてきた。着いたと思って近づいたら違っていた。観福寺は、さらにそこから奥に入ったところにあった。幼稚園なども経営する、敷地も広い札所だ。 入り口には古い町石が立っている。立派な山門はガラスでふさがれているが、覗いてみると見事な金剛力士像が見えた。
山門前の大木に自転車をゆわえつけ、参拝する。 15時38分出発。 ■こちらも立派な札所だが・・・。第八十三番霊場「弥勒寺」(15:45/1.2km/累計37.0km) 大府方面へ向かって進む。東海市の中心に近づき、町並みも都会風になってきた。寺下交差点を左折し、すぐにまた左に折れると弥勒寺があった。 というか、山門があるはずだったが、再建工事のため、解体撤去されていた。あるのは土台と地鎮祭の跡だけ。お寺も地鎮祭をするんだ、と感心する。もともと本地垂迹説によって神仏が習合いただろうから、よく考えれば不思議でもなんでもない。お寺と神社を区別して考えすぎだ。 自転車を降り、手で押して寺内へ向かう。すぐに長い石段がある。しかし傾斜はゆるやかで、端には自転車を押せるような平坦な部分もある。ゆっくり押して上がる。
上がりきると正面に本堂があり、お参りする。右手に売店のようなガラス貼りのお堂のようなものがある。一見、観光地の土産物屋のようだ。御宝塔と書いた提灯が下がっている。「御宝塔『宝篋印塔』です。願い事が叶う現世利益祈願塔です。時計の針回り(右回り)三度回ってお参りしてください」と書いた張り紙があった。これだけ豪華な建物ということは、それだけご利益もあるということなのだろうか。
宝塔の奥にある弘法堂に参りし、納経所へ行く。出てきたお坊さんに気になっていたことを聞いてみる。というのは、知多では線香を1〜2本立ててあることが多く、四国のように3本というケースは少ない。 「すいません、こちらの宗派は?」 16時出発。 ■新築の本堂はオープン前?第八十四番霊場「玄猷寺」(16:07/1.8km/累計38.8km) 前半によく通った県道55号・名古屋−半田線を横切って、大府方面へ向かう。いよいよ大詰めに近づいたような気分がしてきた。 途中、高校生ぐらいのフラットバーロードと競り合う。練習かサイクリングの帰りのようだ。最初はちょっと先行するが、最後は・・・・負けかな。 道路から少し集落に入ったところに玄猷寺はあった。まず目に飛び込んできたのは、木の色も生々しい、新築の本堂。それもかなり巨大だ。開基が夢窓国師というから古いお寺なのだろう。
まだ本堂の引越しは終わっていないらしく、本堂は古い建物の方にあった。弘法堂もその隣に。しかしあまり真新しいお堂よりは、こうした古いお堂にお参りしている方が落ち着くのだが。
16時25分出発。 ■有終前の“美”第八十五番霊場「清水寺」(16:37/1.5km/累計40.3km) 来た道を戻って、以前通った県道55号を名古屋に向かって走る。しばらく走ると案内が出ているので、それに従って右折。ちょっと行くと清水寺に出る。このお寺は道路にそって、駐車場とお堂と庫裏しかないような、変わった造りのお寺だ。何かの都合で、寺域が削り取られたのだろうか。
お参りを終え、納経所へ向かう。いつもどおり呼び鈴を押して待つ。しばらくして来たのは、若くて美しい尼さん。もちろん化粧っ気もない素っピンだが、若い頃の有森裕子似だ。おぢさんは気分をよくして、次の札所に回ることにする。ほんとうはここで打ち止める予定だったのだが。 ちなみにこのお寺は「きよみずでら」ではなく「せいすいじ」と言うらしい。 16時50分出発。 ■鐘の音とともに打ち止め第八十六番霊場「観音寺」(16:55/1.4km/累計41.7km) また県道55号を横切って、新日本製鉄の工場の方向に向かう。古い集落を抜けて走る。こうした時間が一番楽しい。
住宅街を抜け、そこだけ昔ながらの集落が残る小さな丘を登る。やや暮れかけた中に、工業地帯が広がる。観音寺に着き、短い石段を上ろうとすると、鐘の音が響き渡った。ちょうど時分である。 自転車を担いで寺内に入ると、鐘を突き終わったご住職と出会った。軽く頭を下げるとご住職が言った。
本堂と弘法堂にお参りをして納経所に行くと、ご住職が座って待っていてくれた。ちょっと心苦しい。というのも、知多ではお参りは手を合わせてお賽銭を投ずるぐらいで、すぐ納経所に向かう。お経をあげる人は、先達がつく団体以外、ほとんどいないのではないだろうか。だからご住職も、僕が般若心経やらあげる10分余りの時間、待っていてくれたのだと思う。 あらためてお礼を言って納経してもらう。 17時10分出発。 ■黄昏に還る(18:30/19.4km/累計61.1km) 知多四国霊場では、3月から9月までは、午後6時まで納経してもらえる。だから頑張ればさらに2ヵ寺程度は回れただろうが、88番までは無理だ。そんなわけで、今回は86番で打ち止めとする。 日が長くなったとはいえ、午後5時を過ぎると薄暗くなってくる。そんな中、県道55号に戻り、帰途を目指す。いつものとおり、途中で腹が減ったので、コンビニに入る。おにぎりとお茶を買い、ゆっくりとエネルギー補給&休憩。外で食べていてもあまり寒くないので助かる。 いつもの事ながら、自宅に帰りついたときは真っ暗になっていた。
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