自転車なお遍路イメージ
2005年春
はじめに
5月2日(往路)
5月3日(1〜11番)
5月4日(12〜17番)
5月5日(18〜22番)
5月6日(復路)
2005年夏
7月15日(往路)
7月16日(22〜23番)
7月17日(24〜27番)
7月18日(28〜32番・復路)
2006年春
4月29日(往路)
4月30日(32〜36番)
5月1日(37番)
5月2日(38〜39番)
5月3日(40〜43番)
5月4日(44〜45番)
5月5日(46〜51番・復路)
2007年春
4月27日(往路)
4月28日(51〜58番)
4月29日(59〜64番)
4月30日(65〜66番)
5月1日(67〜76番)
5月2日(77〜83番)
5月3日(84〜88番)
5月4日(1番・復路)
2007年冬
12月8日(高野山)

■足摺へんろ道を気持ちよく走る

三十八番霊場「金剛福寺」

(11:10/本日46.1km/累計214.4km)

朝6時起き。身支度を整え、昨日コンビニで買っておいた朝食をゆっくり食べる。フロントでキーを返す。フロントに居たのは昨日の若い男性。交代勤務ではなく、徹夜勤務のようだ。人使いのあらい、いや、効率重視のホテルなのだろう。

ホテルを出てしばらく走ると、四万十川にかかる橋を渡る。うす曇の朝の四万十川は昨日と同じで、清流という印象ではなかった。四万十川沿いの道を河口に向かって走る。河口手前で、国道321号は山の方に転じる。少し前まで、四万十川を渡る初崎の渡しがあったが、残念ながら間に合わなかったようだ。

朝の四万十川

朝は山の中の道も気持ちがいい。走っていると右手に小山が見える。中腹に「大」の文字が。これが土佐の大文字山か。たしかに遊びで造ったような規模だ。しかし地元の人たちが、これを1年を通して維持するのはけっこう大変だろうと思う。

土佐の大文字山

またしばらく走ると、見事な白い髭の、歩きのお遍路とすれ違う。金剛福寺からの打戻りだろう。挨拶をして、延光寺までの道を聞く。金剛福寺を打った後、どのルートがいいのか参考にしたかったからだ。

そのお遍路は、真念庵から抜けて延光寺を目指すという。と教えてもらっても、実の所、地図がしっかり頭に入っていないので、今ひとつぴんとこない。後から地図で確かめよう。

下ノ加江川沿いに走り、やがて河口近くの橋を渡る。ここで一休み。橋を渡る途中の歩道に自転車を停め、足を投げ出して小休止する。野球のユニフォーム姿の中学生が、挨拶をしながら通っていく。ここでアームウォーマーを外す。

温度もさほど高くなく、風もそれほど強くない、絶好の晴天。忘れないうちに、日焼け止めを塗る。歳をとると若者のように、きれいに焼けない。その上、最近、シミのようなものも出てきた。と言うわけで、焼けないのが一番。日焼け止めは必須だ。

以布利から遍路道に入る。ちょうど入り口に、高齢のおばあちゃんと、僕と同年輩くらいのお嫁さんらしき人が、小さなお堂の掃除をしていた。といっても、おばあちゃんは見ているだけ。お嫁さんが熱心に作業している。念のため、おばあちゃんに尋ねる。
「この奥の道は、自転車は走れますか?」
「行けますよ」
おばあちゃんは、予想外にしっかりした声で教えてくれた。よく見るととても上品な面立ちだ。お礼を言って、遍路道へ向かう。

昼なお暗き、というほどでもないが、木立の生い茂る小道を走る。一応舗装はされているが、車は軽でもすれ違えないほど狭い。おかげで車の姿も人の姿も見ない。ウグイスの鳴き声だけがこだましている。

昨年、同じ時期に焼山寺や鶴林寺などの遍路道を歩いたが、その時はウグイスはまだ、ホーホケケキョケキョといった不器用な鳴き声をあげていた。しかし今年は、きちんとホーホケキョと鳴いている。地域柄なのか、春が早かったのか。

少し登ってからなだらかな下り坂だ。県道27号に出る。海沿いの対抗2車線で歩道付きの走りやすい道だ。しかし日陰も少なく、アップダウンも激しい。息を切らせて坂を登ると、すぐに下り坂。これはあっと言う間に終わってまた登り、といった具合だ。

何人かの歩きのお遍路を追い抜く。一人、後ろから見て、歩くのがつらそうな女性のお遍路がいた。でも何をしてあげられるわけでもない。他のお遍路と同じように挨拶をして先行する。

ひたすら走っていると、何も考えなくなる。頭の中にメロディーが浮かび、リフレインする。最初は岡林信康の「申し訳ないが気分がいい」という曲が流れていた。『水と緑と動くものと、すべてがそこにつきるはず』。彼の3枚目のアルバムの曲だ。

だが、坂をぜいぜい息を切らして登っているうちに、曲は吉田拓郎に変わった。曲目はもちろん「イメージの歌」。『長い長い坂を登って後ろを見てごらん、誰も居ないだろう。長い長い坂を下りて後ろを見てごらん、みんなが上で手を振るさ』。ぜーぜー。

9時半頃、目の前に休憩所が見えてきた。これを理由に休憩。何人かのお遍路が休んでいた。年配の男性が
「お接待でもらった小夏があるよ」とすすめてくれた。手で皮をむこうとすると
「包丁で、リンゴの皮をむくみたいに皮を取って、そのまま食べるといいよ」と教えてくれて、包丁も貸してくれた。

食べていると、丸刈りの、まだ20歳くらいの若い男性遍路が話しかけてきた。彼も自転車で回っているらしい。楽しく自転車の話などをする。道に詳しそうなので、次の延光寺までのルートを聞いてみる。
「どんな道がいいんですか?」
「楽な道。なるべく坂が少ない方がいいな」と能天気な僕。
「それなら21号がいいですよ。坂はきつくないから」
なるほど。これは21号しかないな。延光寺までのルートはこれで決定。

20分ほど休んで、金剛福寺を目指す。さきほどの若い自転車遍路が
「ちょっと坂があるけど、30分でつきますよ」
と教えてくれた通り、再びアップダウンが続く。

足摺岬に近づくと、道は再び木立の中を走る。勾配もなだらかで、気持ちのいい道だ。「足摺へんろ道」という小さな看板が立っていた。頭の中のリフレインは、再び岡林信康に戻る。

こんな道ばかりだったらなぁ

木立を抜けると、駐車場があった。足摺岬に着いたらしい。人も車も多い。金剛福寺はその先にあった。寺の前には、土産物屋が並んでいる。

自転車の置き場所を探していると、寺の入り口で托鉢をしていた老遍路が合図する。自分の立っている横を指差して、ここに置けという身振り。自転車を停め、お礼を言って山門をくぐる。

お寺の中は、思ったほど人はいなかった。ゆっくりお参りをし、納経所に向かう。ご住職が納経をしてくれ、納経帖を返してくれる時に聞いた。
「歩きですか?」
「いえ、自転車です」
ご住職は無言で立ち上がると、後ろに置いてあったクーラーボックスからお茶のパックを持ってきた。
「歩きの方にはお茶をお接待しています。どうぞ」
「・・・? ありがとうございます」
嬉しかった。

どこか中国風(?)の山門
札所の中は、比較的静かだった

山門を出ると、托鉢のお遍路の姿はなかった。ここで食事にしようと、何軒か見てまわる。しかし、どこもあまり変わらないので、一番近い土産物屋の2階にある食堂に入る。中は喫茶店のような造り。窓からの景色は、木立や草ばかりで、期待したような足摺の風景は見えなかった。

きつねうどん550円とアイスコーヒー250円を頼む。食事をして、地図で次の行程をチェック。その後しばらくぼーっと休んでから、重い腰を上げる。

11時30分出発。

■三原越え

(15:00/本日88.9km/累計257.2km)

来た道を戻る。先ほどの自転車遍路は
「(金剛福寺からの)帰りの方が楽ですよ」と言っていた。時間は確かに短かったが、楽というほどではなかった。先ほどの休憩所にまた寄る。納め札を置いてくるのを忘れたからだ。自転車遍路の姿はなく、包丁を貸してくれたお遍路がまだ残っていた。納め札を置くとすぐに出発。

雲が出てきて、暑さも多少和らぐ。途中、湧き水があった。そこで水を飲み、ついでに日焼け止めを塗る。そこへ若い歩きのお遍路が一人やってきた。荷物が大きいので尋ねる。
「野宿ですか?」
「ええ。1ヵ月半かかって、まだここまでです」笑いながら彼は言う。
「学生さんですか?」
「いえ、無職です!」
また余計な事を聞いてしまった。あわてて謝る。気にする風もなく彼は、明るく爽やかに、話を続ける。

気に入った場所には2〜3日とどまるそうだ。水が大好きとかで、ここの水も美味しそうに飲んだ。 「美味しい水ですね。よかったら、コーヒーでも入れましょうか」
コーヒーセットも持ち歩いているらしい。心が動いたが、先があるので丁寧にお断りして別れる。いろんな意味で、ちょっと悩む。

手ぬぐいとか柄杓があるのは、
飲める湧き水の証拠

湧き水を後にしてすぐ、反対車線を奇声を上げて走ってくる自転車があった。よく見ると、先ほど休憩所にいた自転車遍路だ。奇声と聞こえたのは、挨拶だったらしい。返事をする前にすれ違って去っていった。

おかげで、遍路道を通り過ぎそうになった。遍路道へ入る。来た時は気づかなかったが、入ってすぐ、つまり金剛福寺寄りの所にお好み焼き屋があった。「てまり」という暖簾が出ていた。県道ならともかく、ここで商売になるのかな。遍路道に食堂があるのは、ありがたいことだけど。

1時20分、21号とに分岐する交差点に到着。ここで一休みすることにする。靴下も脱いで、道路に座り込む。は〜。また青空が顔をのぞかせている。15分ほど休憩。通りかかった2人連れのお遍路が、こちらの方を指差して話している。警戒されてるのかと思ったら、座っている僕の背後にあった丁石で、道を確認したようだ。

21号は、確かに勾配もきつくなく、走りやすい道だった。最初は田んぼの中を走っていたが、道はどんどん山の中に入っていく。気がつくと、森の中の一本道を走っていた。車もほとんど通らず、先ほどの足摺へんろ道ほどではないが、気分のいい道だ。今の季節もいいが、紅葉の時期も綺麗だろう。

県道21号も走りやすい道だった

1時間半ほど走る。三原町の入り口に、食料品店があった。軒先の自販機で飲み物を買っていると、中から店の人らしい女性の声が聞こえた。 「お子さんにもいい思い出になりますねぇ」という意味の言葉だった。 話の様子では、お客はどうやら、親子連れのお遍路らしい。

店から数分走ると、「天満宮」という神社があった。トイレとテーブル、ベンチがあった。ここでドラ焼などを食べ、20分ほど大休止。座ってお茶を飲んでいると、中学生くらいの男の子連れの男性遍路が歩いていくのが見えた。二人とも白衣を着ている。先ほどの親子のお遍路だろう。

「よっこらしょ」と腰を上げて、再び走り出す。と、不思議な光景が見えてきた。牛が草を食んでいる牧場なのだが、高台から低地まで一直線にロープが渡され、数十匹の鯉のぼりが泳いでいる。何かのイベントでもなさそうだし、この牧場の主の趣味なのか?名古屋だったら間違いなくテレビ局が取材に行くだろう。

なんとも不思議な光景だった

■夕方、宿&札所に到着

三十九番霊場「延光寺」

(16:15/本日103.9km/累計272.2km)

30分ほど走ると、ダム湖が見えてきた。ここから宿毛市だ。湖にかかる橋を越えると、道は下り始める。まっすぐ下っていくと、道は国道56号に突き当たる。ほんの少し走ると、延光寺の案内看板が見える。看板にそって山すそを走っていくと、民宿が何軒かあった。今日泊まる、へんくつ屋もそこにある。

荷物だけ置かせてもらい、そのまま自転車で延光寺に向かう。他の宿泊客は、既にほとんど揃っているようだ。

1分も走らないうちに延光寺着。門前に自転車を停めて中に入る。山門は古色蒼然としているが、本堂、大師堂などは新しいようだ。時間が遅いせいか、参拝者も数えるほどしか居ない。

山門はかなりの年代ものだが
本堂や大師堂は比較的新しかった
この札所のシンボルの亀。
鶴林寺の鶴と対だとか

4時45分、へんくつ屋に入る。

僕が一番遅かったようで、食堂では既に食事が始まっていた。すぐに部屋に荷物を運び、おやじさん手づくりという岩風呂に入る。足を十分マッサージしてから上がる。そしてすぐに食事。おかみさんがじっと座っている横で、ご主人がすべて支度する。丼2杯たいらげる。

僕が食事を始める頃には、他の人は食事が終わり、ほとんど残っていなかった。挨拶程度に話はできたが、きちんとした話はできなかった。実はこの宿では、歩きの人たちの話を聞くのを楽しみにしていただけに残念だった。

食後、洗濯機が空いたので、洗濯物をもって浴室に行く。おかみさんが大儀そうに、それでも親切に洗濯機の使い方を教えてくれる。二層式の洗濯機も扱えるつもりでいたが、ここのはシンプルすぎてちょっと難しかった。

洗っている間に、おかみさんとお話をする。
「幾つに見える?」
「八十くらいですか?」
自分の母親と同じくらいかと思い、そう言ってみる。実はもっと上で、僕の父親とほぼ同い年。ご主人はかなり年下とか。

ちょっと愚痴めいた話も聞くが、ひたすら聞き役に回る。ご主人は、おかみさんがそんな話をしている傍らで、黙々と洗い物をしている。適当に切り上げ、部屋に戻り荷物の整理をしていたら、洗濯物の脱水を忘れていた。慌てて浴室へ行くと、いつの間にか脱水が終わっていた。おかみさんがニコニコ笑っている。恐縮してお礼を言う。

洗濯の後、自転車の整備をする。午後走っていたら、フロントから異音が聞こえ出したので、ランプのダイナモなどを調整。ついでにブレーキ位置もいじってみる。横でご主人が、福井から来たという男性遍路と楽しそうに話をしている。物をいじるのが趣味のようだ。今手を入れているらしい焼玉エンジンをかける。すごい音が響く。暗くなってきたので部屋に戻る。。

8時頃、コップを借りに台所へ行った。声をかけたら、おかみさんが奥の部屋から返事した。
「おかあさん、もう寝てるから、勝手に持っていってええよ」
真っ暗な台所に、1人前の食事が盆の上にラップをかけられ、残されていた。

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