2005年夏
2006年春
5月4日(44〜45番)
2007年春
2007年冬
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■思ったより小さいお大師像別格八番霊場「十夜ヶ橋」(8:20/本日 - km/累計 - km 計測忘れ) いつもどおり6時起床で、6時40分出発。やっぱり朝も涼しい。標高が高いからだろう。アームウォーマーをしていても、ひんやりとする。 10分ほど走るとコンビニがあったので、朝食の買出し。おにぎりと飲み物を買う。 コンビニの入り口付近でおにぎりをかじっていると、ご夫婦のお遍路がやってきた。ご主人のトイレタイムらしい。奥さんが外で待つ。その間、ちょっと立ち話。なんと愛知県瀬戸市の方だった。わが家も名古屋の東部なので、瀬戸まではたまに自転車で走る。ご夫婦は今日、別格の出石寺へ向かうそうだ。ご主人がなかなか出てこないので、奥さんにご挨拶して先行。にしても、愛知県人と話す確率が高いな。それだけ多いのか、はたまた何かが呼び合うのか。7時、大洲市を目指す。 次々に歩きのお遍路を追い抜く。宇和に泊まった人たちだろう。特にめだったのがご夫婦と思われるお遍路。3組見かけた。後は男性数人、女性1人。 標高270mの鳥坂トンネルまで登る。といっても、もともと高い所を走っているのでそれほど急ではない。しかし連日の走行で、脚がかなり疲れている。思うように脚が動かない。一晩寝ても、完全に疲れは抜け切っていない。特に昨日の歯長トンネルへの坂道が効いているようだ。 ようやく鳥坂トンネルを越えると、大洲市まで道は下りになる。今は下りがほんとうに嬉しい。 大洲市に入ると、高速からの道などが合流してわかりにくかったが、何とか56号を走り続ける。しかし目的地の十夜ヶ橋が、なかなか見えてこない。ひょっとして通り過ぎてしまったかな?別格の札所はあまり道路標識などもないので、その怖れはある。ちょうど歩きの男性遍路と出会ったので、聞いてみる。 「十夜ヶ橋は、まだ先でしょうか?」 十夜ヶ橋は、それからすぐ近くにあった。橋は思ったよりも、うんと小さかった。そして何より、お大師様の像がある場所がわからない。手前の永徳寺はわかるのだが。橋の下にある、というのは知っていたが、降り口はどこだろう? うろうろして、ようやくわかった。橋を渡った所にあったのだ。おかげで反対側から降りてしまった。入ってもう一度びっくり。お大師像が思っていたよりずっと小さかったからだ。何となく、タイの涅槃仏のような大きなイメージを持っていたのだ。
参拝を終わって永徳寺で納経をしてもらう。ついでに珠も買う。別格は鯖大師以来二つ目。念珠になるのは当分先のことだ。8時40分出発。この時入れ違いに、先ほど道を教えてくれた男性遍路が入ってきた。次の目的地は内子だ。 相変わらず56号を走る。標識にしたがい走っていると、やがて内子町役場が見えてきた。しかし、周りに古い町並みもないし、内子座らしき建物もない。静かな田舎町だ。道を聞こうにも人がいない。ぐるぐると走り回ったあげく、ようやく年配の女性に出会った。とりあえず内子座を目印に聞く。随分離れている。どうやら町村合併で、違う(?)内子町に来ていたようだ。 トンネルをくぐり、しばらく走って橋を渡ると、にぎやかな町並みが見えてきた。町の入り口に喫茶店があった。 そこに入ろうかと思ったが、もう少し町を見てみることにする。連休ということもあって、町は人であふれている。 街角で30代くらいの女性遍路が地図を見ている。挨拶をして、ついでに内子座の場所を聞いてみる。
時代劇のセットのような芝居小屋だ。名古屋にもわずかに残っている、大衆演劇の小屋のようなものを想像していたが、それとは違って随分立派だ。しかし妙に手が入って、あまり歴史は感じさせない。きっと、中に入ると違うのだろう。今回は写真だけ撮って、すぐにルートに戻る。町中は人だけでなく、馬車型の小型バスなども走っていて、自転車は走りにくい。 また別の、眼鏡をかけた若い女性遍路がいたので、挨拶をして先に行く。が、食べる所がない。一軒あった中華料理屋も準備中。仕方ないので戻る。途中、挨拶した眼鏡の女性遍路とまた出会う。怪訝そうな顔をしているので、 「食べるとこを探してるんです」と言い訳。 結局、最初に見た喫茶店に入る。フランス料理店といっても通用しそうな上品な内装だ。 お願いしてから探してみると、やっぱり「サラリーマン金太郎」が置いてあった。続きを読む。モーニングは皿にトーストやサラダを盛り付けた上品なもの。こだわりの喫茶店かもしれない。食べながら見ていると、マスターは外に回って、僕の自転車を眺めている。やっぱりこだわりの人?35分ほど休憩して、喫茶店を後にする。 ここから国道379号に入り、川に沿って登っていく。最初はなだらかな坂だ。疲れた脚でも気持ちよく登っていける。たぶん、風も追い風なのだろう。しかし日差しは強い。通りがかりの交通標識の温度計は25度となっていた。 しばらく走ると、先ほどの眼鏡の女性遍路に追いつき、ちょっと話をする。国道379号と380号が分かれるあたりが今日の目標とか。話している途中、青いレーシングジャージに身を固めたロードレーサーが降りてきた。手を上げると、軽く手を上げて挨拶する。確かに練習にはいいコースかもしれない。僕もあと30歳若ければ、走るかもしれない。 女性遍路と別れて、どんどん進む。日陰がないので暑い。途中の自販機で飲み物を補給し、日陰を求めて走る。男性のお遍路が一人、暑い中、座り込んでいた。お互い手を上げて挨拶。やがて木の枝が張り出していて、日陰となっている場所を発見。停まって一休みする。といっても5分ほどだが。 再び登り始めると、またロードレーサーが降りてきた。先ほどのレーサーとと同じチームらしい。サポートの女性がついている。軽く手を上げるが、ロードの男性はへばっているのか、うなずくだけ。女性は、ちょっとバランスを崩しながら、手をあげて応えてくれる。自転車に乗っての、とっさの挨拶は意外に怖いものだ。 道が分岐している場所があった。新しい道のようだ。三叉路に停まって地図を見ながら考えていると、横に銀色の大型スクーターが停まった。地図を眺めている間、黙って停まっている。信号もない交差点だ。これはやばいかな、と思って顔を上げて挨拶すると、運転している色の黒い太った男性は初めて口を開いた。 細い、昔の街道といった雰囲気の道を進む。まだ傾斜はそれほどでもない。たまに道の両側に商店などが建っている。高知よりも人口密度が高いのだろう。食料品店は、あるだけで安心する。名古屋の日常では味わえない感覚だ。
また枝道がある。たぶん直進だろう、と思って停まって見ていると、横に先ほどの銀色のスクーターが停まった。 「44番から回るんか、45番から回るのか、どっち?」 途中、先ほどの女性遍路の言っていた分岐があった。その先のAコープの前にバス停があり、屋根もあったので、そこに座り込んでここでも10分ほど休憩。ちょうど12時になったところで、有線放送がエーデルワイスを流していた。どこかの加工場で働いていたらしい女性数人が、Aコープの方に歩いてくる。農業では今日は休日ではないようだ。 Aコープのある小田という町を通り過ぎると、坂は本格的になってきた。横を流れる川の流れはどんどん細くなる。最後は小川になった。当然、坂もきつくなる。 どんどん急になる坂に、「ちょっと景色でも眺めるか」とか自分に言い訳しながら脚を止める。つらいというより、つらいのに飽きてくる。ここで僕はあらためて発見した。いくら休んでも考えても、坂は消えてくれないのだ。ユーレカ!というわけで、ひたすらペダルを踏む。 さんざん重たいペダルを踏んで、もうそろそろ頂上か、と思ったところに三島神社が見えてきた。ポケットの地図をみると、ここが410m地点。げっ、あと160mほどを1kmぐらいで上がらないといけない。ちょっとめげた。 道は当然つづら折り。くねくね曲がりながら登っていく。昨日の歯長トンネルへの道同様、「いのち、だいじに」走法で走るが、それでも、しばしば脚を止める。ほんとにきつい。押し歩くことはなかったのが、走法の効果といえば効果だ。 登ってきた道が下に見えるのは気持ちがいいが、あとどれだけ登るのか見当がつかないので、ひたすら足元を見つめてペダルを回す。随分長い時間だった気がするが、坂と格闘したのは25分ほどだった。頂上の真弓トンネルの入り口が見える。同時に体の力が抜ける。入り口手前には、休憩用のあずま屋があった。倒れこむように自転車を停めて中に入る。 中には学生風の若い男性がいた。周りはマンガとかビデオテープが散乱している。どうやら、ここに泊まったようだ。 「こんにちは」と挨拶すると、明るい笑顔で「こんにちは」と言う。 こちらは話ができる状態ではなかったので、しばし無言でお茶などを飲む。やがてその青年が話しかけてきた。香川から来たと言う。そのうち、連れの女性も来て横に座った。 彼らは香川から来て、「四国道の駅制覇ツアー」を敢行中だという。数年前に一度回ったのだが、それから20ほど増えたので、新しい道の駅を回っているとのこと。いろんな巡礼があるものだ。 話し好きな明るい青年で、仕事や趣味の釣りの話などもする。若く見えたが33歳だという。これからSEの仕事をするらしい。これは励ますしかない。しかしショックだったのは、屋島のケーブルカーが廃止になったという話。これは知らなかった。屋島寺は自転車で登れるのだろうか。それとも歩くか。彼らはついでに、八栗寺近くの、美味しい讃岐うどんの店も教えてくれた。 話し込んでいるうちに30分もたってしまった。いかんいかん。彼らに別れを告げて、トンネルに向かう。トンネルを出ると、道は急に下っていく。久万高原というからには、そんなに下りはないかと思ったら、そうでもなかった。 ■今日、最初の札所四十五番霊場「岩屋寺」(15:40/本日 93.4km/累計 466.6km) 30分ほどで坂を下りきり、そこにあった食堂に入る。2時20分だった。 時間が気になるが、空腹には勝てない。きつねうどんを素早くすすりこむ。食べ終わると、おかみさんが岩屋寺、大宝寺への道順を教えてくれる。最後に、今日は浄瑠璃寺まで行くというと、ちょっとあきれたような顔をした。そんなに無謀な計画だったのか?2時35分出発。 岩屋寺までは、川沿いの道を、軽いアップダウンを繰り返しながら走る。向かい風が邪魔だ。あまり変化のない道を、1時間近く走ると岩屋寺の案内が見えてきた。歩きのお遍路も何人か見える。ご夫婦らしき遍路もいた。 短いトンネルを抜け、左折して小さな橋を渡る。岩屋寺の駐車場だ。手前の駐車場にいるおやじさんに、自転車を停める場所を聞く。おやじさんは、駐車場の看板の前に停めさせてくれた。 「岩屋寺、歩いて20分」という看板を見つけた。 しばらく続く坂道では、靴の底に着いた、ペダル用の金具(クリート)が歩きづらい。ちょうど力の入る部分に付いているので、坂では滑ってしまう。しかしこれで楽もさせてもらっているので、文句も言えない。20分はかからなかったが、10分近くかかって本堂に到着。見る角度の問題だろうが、写真で見るほうが迫力がある。本堂の横から登る、逼割禅定(せりわりぜんじょう)から見れば違うのかもしれないが、今回は時間がない。
急いで参拝して、納経所へ。こんな時に限って、一人で納経帖やら軸やらを大量に持ち込む人が何人もいる。諦めの心境で、ひたすら納経の列に並ぶ。 ようやく僕の番が来て、朱印をいただく。ついでに何か紙をはさんでくれる。見ると「朱印はコレクションでも美術品でもない。お祈りをしたことの、住職の保証書」といった意味のことが書かれていた。実にごもっともだが、現実にはコレクターというか商売人も多いし、「代参」という習慣もあり、札所側でも断れないようだ。結局こうしたチラシで訴えるしかないのだろうな。 急いで降りる。今度は滑って転ばないよう、注意して歩く。駐車場のおやじさんにお礼を言って出発。16時20分。 ■ロスタイムで、なんとかクリア四十四番霊場「大宝寺」(17:--/本日 100.1km/累計 478.4km) 距離にして次の大宝寺まで8.4km。普通の道なら30分程度で行ける。 しかし、またこんな時に限って、というやつが現れた。登り坂という名のマーフィ君である。それも結構強烈な上りだ。岩屋寺を出てすぐ登りが始まり、延々と続く。 もう「いのち、だいじに」なんて言っていられない。「がんがん、いこうぜ」走法に切り替える。ただ疲れきっていると、あんまり差はないかもしれない。がんがん走っても、すぐエネルギー切れ&乳酸たんまりで脚が止まる。あとは気力で走る。 坂と悪戦苦闘しているうちに、少しずつ距離は縮まる。時計など見ている余裕もない。エネルギーの続く限りペダルを踏み、燃料が切れたら息を切らせながら停まり、何十秒か、エネルギーが貯まるまで待つ。そして走り出す。 だいぶ近づいたなと思う頃、道で地元の女性に出会った。 やっと坂を登りきり、下りに差しかかると大宝寺の案内が見えた。うどん屋のおばちゃんに、うっかりすると見過ごすから気をつけて、と言われていたものだ。 最後の坂を、小学生の乗るマウンテンバイクを大人気なくぶち抜く。あきれたような小学生の顔を横目に、大宝寺の駐車場に辿り着く。時間がもったいないので、さらに参道入り口まで自転車で走る。そこに自転車を放り出して、急いで階段を登る。そして納経所に走りこむが・・・タッチ、アウト!納経所の窓は無情にも閉まっていた。この札所には「ちょっと」はなかった。 ただ閉まったガラス戸の向こうに、若い女性が一人、売り上げの計算をしている。 詳しいことは企業秘密だが、まあ、その、「ちょっと」というやつが現れてくれた。しかし、これでは納経を商売にする人間を責める資格はないな。反省した分、熱心にお参りした。もちろん、灯明、線香はなしで。
5時30分出発。 ■自業自得、恐怖の暗闇ダウンヒル三坂峠(19:05) 今回はここで計画の甘さが露呈した。これからまだ、標高710mの三坂峠越えが待っている。久万高原で宿をとっておくべきだった。後悔先に立たずだ。大宝寺の駐車場から、今日の宿の長珍屋に電話を入れる。 「ちょっと遅くなりますので・・・7時過ぎには」 その辺で、さっきのマウンテンバイクの小学生の仲間が遊んでいる。そのうち一人をつかまえて、国道への道を聞く。大人とマークの対象が違うのでわかりにくかったが、なんとか理解できた。そのまま道を下って右に曲がり、国道に出る。角にあるコンビニで、飲み物を補給する。 ところがここで大ミス。道路標識を見損なって反対側に走ってしまった。なんだか雰囲気が違う。若い衆を一人つかまえて聞いたら、 と、右手から、ヘルメットをかぶった自転車乗り男女が降りてきた。聞いてみるが、地元の人間ではないらしく、三坂峠そのものがわからないようだ。あきらめてさらに進むと、コインランドリーに人が居た。そこで聞いて、ようやく反対に走っているのがわかった。2kmはロスをしたな。 Uターンをする。するとさっきの自転車乗りがうろうろしている。トラブルかと思って聞いてみる。お父さん(といっても僕よりだいぶ若い)が娘さんと一緒にサイクリングに来て、奥さんにピックアップしてもらう場所がわからないようなのだ。二人で真弓トンネルを越えてきたらしい。娘さんは中学生くらい。たいしたもんだ。 待ち合わせ場所は大宝寺の駐車場とか。それなら僕でもわかるので、後についてくるように言って先行する。途中で待ち合わせ場所が久万町役場に変わったようだ。そこで別れて、僕は三坂峠へと走り出す。 登りかけたところで、寒くなってきたのでアームウォーマーを着ける。ついでに一休み。そこへ近所の人らしきおやじさんが歩いてくる。風貌が殿山泰司にそっくりだ。 今度は「いのち、だいじに」走法で、無理をせず、確実に進む。というか、それしか脚が動かない。さっきの「がんがん、いこうぜ」で、完全にエネルギーを使い果たした感じだ。たまに休むのも、ほんの1〜2分。それ以上休むと、脚が動かなくなりそうで怖い。 坂は、真弓トンネル前の九十九折りに比べると、はるかに楽だ。しかし延々と登りが続く。後で地図を見ると、距離にして7〜8kmあった。この間、とにかく登りづめだ。疲労困憊しながらペダルを踏んでいると、ふっと楽になる。お大師様のご加護か、はたまたアドレナリンが回りすぎたのか。飲み物を買うため自販機の前で停まって理由がわかった。かなりの追い風が吹いている。風に助けられて、とにかく登る。 やがてトンネル工事の現場が見えてきた。第1三坂トンネルというらしい。現場から少し上がった所に、トンネル工事の概要を説明した看板が立っていた。全長は覚えていないが、今日の時点で貫通まであと2mとか。完成は来年のようだ。もう少し早く完成していたら多少楽ができたのに、と勝手なことを考える。 工事現場から、さらにひたすら登っていくと「三坂峠」という看板が現れる。やった!ようやく峠だ。時計を見ると7時5分。1時間も登っていなかったことになる。これも後で地図を見ると、標高710mとはいうものの、大宝寺とは200mほどの高低差しかない。疲れと切迫感がなければ、もっと楽だっただろう。 峠を越えた時点で、ほぼ夜になった。さすがに国道だけあって交通量も多く、ところどころに街灯もあるので真っ暗ではない。しかし九十九折りの下りは、そのまま走っているとすぐ時速50kmを超えてしまう。ブレーキを握り締め、そして車のヘッドライトから逃げながら坂を下る。 右手を見ると、眼下に都会の灯りが広がっていた。松山だ。思わず道路の右端に自転車を停めて眺める。それは、ビクトリア・ピークから見る香港島の夜景よりも美しく見えた。
しかし、ここでも見落としていた。松山の灯りは、まだ随分遠くに見えている。そして今日の宿はそこにあるのだ。 下り坂はカーブを描きながら続く。30分ほど降りたところで塩ヶ森トンネルに差し掛かる。地図を見ると、ここから浄瑠璃寺への道が出ている。しかし暗いせいもあってわからない。電話で宿に尋ねようとしたが、電波が届いていない。今度は坂を、見通しのいい場所まで登る。やっと電話が通じた。塩ヶ森トンネルを越えてしばらく行くと看板が出ているそうだ。それに従って果樹園の中を走れという。再度下って見るが、看板は見当たらない。暗闇の中で見落としたようだ。 ・未知との遭遇?から宿へ仕方なく、そのまま下り続ける。こうなったら、いったん松山まで出て、引返そうと気持ちを切り替える。と、闇の中に忽然と、光のかたまりが現れた。煌々と照明をつけた、大きな果物市場だ。まるで「未知との遭遇」で砂漠に現れた、光輝く巨大UFOのようだ。 すぐに自転車を市場の駐車場に向ける。自転車を停めて、近くにいた若い男性に声をかける。すると奥から出てきたおかみさんらしき人が、応対してくれる。 「遍路道は暗いと危ないよ」と言って、僕の持っている地図の裏に、手描きで地図を描きながら説明してくれた。教えてくれたのは、松山市の動物園の中の有料道路を通って、八坂寺の近くに抜ける道だ。 何度もお礼を言って、再び自転車に乗る。 そこから、また真っ暗な国道を10分ほど下り、ようやく街の灯りが見えてきた。しかし、なんであんな所に果物市場があるんだろう?今思い出しても不思議だ。ブラッドベリの作品に出てくる、カーニバルを思い出す。 ■ようやく宿に到着長珍屋(20:30/本日 131.6km/累計 509.9km) 街に入ると安心したせいか、寒くなってくる。ウインドブレーカーを着て、教えてもらった道を走る。有料道路は、おかみさんの言ったとおり、自転車は無料だった。その代わり道は小さな丘を登る。疲れている脚には堪える。途中、散歩をしている人などに聞きながら、ようやく長珍屋にたどりつく。8時半だった。 自転車を玄関前に停め、まずはフロント目指す。中のロビーには、歩きらしいお遍路が数人集まっていた。僕の姿を見ると「おっ、自転車だな」などと声をかけてくれる。しかしふらふらの状態なので、引きつった顔で会釈を返すくらいしかできない。 土産物の売店の中にあるフロントで、遅くなったお詫びを言い、部屋に案内してもらう。長珍屋は遍路宿というよりはビジネスホテルだ。中は宇和パークホテル以上に複雑だ。 とにかく用意してくれていた食事をかきこみ、ビール1本飲んで人心地がつく。品数も多く、豪華な食事だったが、あせって食べたので味もわからなかった。すぐに風呂に入り、部屋に戻ってKさんから送ってもらったJRの空席情報を検討。やはり予定を1日早めて、明日帰ることにする。結局Kさんには、最初から最後までお世話になってしまった。ありがとうございます。 この日は肉体的にも疲労困憊したが、最後の暗闇ダウンヒルで精神的にも参った。ビールを飲み、部屋で焼酎を飲んでも神経がぴりぴりしている。おかげであまり眠れなかった。
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