自転車なお遍路イメージ
2005年春
はじめに
5月2日(往路)
5月3日(1〜11番)
5月4日(12〜17番)
5月5日(18〜22番)
5月6日(復路)
2005年夏
7月15日(往路)
7月16日(22〜23番)
7月17日(24〜27番)
7月18日(28〜32番・復路)
2006年春
4月29日(往路)
4月30日(32〜36番)
5月1日(37番)
5月2日(38〜39番)
5月3日(40〜43番)
5月4日(44〜45番)
5月5日(46〜51番・復路)
2007年春
4月27日(往路)
4月28日(51〜58番)
4月29日(59〜64番)
4月30日(65〜66番)
5月1日(67〜76番)
5月2日(77〜83番)
5月3日(84〜88番)
5月4日(1番・復路)
2007年冬
12月8日(高野山)

■思ったより小さいお大師像

別格八番霊場「十夜ヶ橋」

(8:20/本日 - km/累計 - km 計測忘れ)

いつもどおり6時起床で、6時40分出発。やっぱり朝も涼しい。標高が高いからだろう。アームウォーマーをしていても、ひんやりとする。

10分ほど走るとコンビニがあったので、朝食の買出し。おにぎりと飲み物を買う。

コンビニの入り口付近でおにぎりをかじっていると、ご夫婦のお遍路がやってきた。ご主人のトイレタイムらしい。奥さんが外で待つ。その間、ちょっと立ち話。なんと愛知県瀬戸市の方だった。わが家も名古屋の東部なので、瀬戸まではたまに自転車で走る。ご夫婦は今日、別格の出石寺へ向かうそうだ。ご主人がなかなか出てこないので、奥さんにご挨拶して先行。にしても、愛知県人と話す確率が高いな。それだけ多いのか、はたまた何かが呼び合うのか。7時、大洲市を目指す。

次々に歩きのお遍路を追い抜く。宇和に泊まった人たちだろう。特にめだったのがご夫婦と思われるお遍路。3組見かけた。後は男性数人、女性1人。

標高270mの鳥坂トンネルまで登る。といっても、もともと高い所を走っているのでそれほど急ではない。しかし連日の走行で、脚がかなり疲れている。思うように脚が動かない。一晩寝ても、完全に疲れは抜け切っていない。特に昨日の歯長トンネルへの坂道が効いているようだ。

ようやく鳥坂トンネルを越えると、大洲市まで道は下りになる。今は下りがほんとうに嬉しい。

大洲市に入ると、高速からの道などが合流してわかりにくかったが、何とか56号を走り続ける。しかし目的地の十夜ヶ橋が、なかなか見えてこない。ひょっとして通り過ぎてしまったかな?別格の札所はあまり道路標識などもないので、その怖れはある。ちょうど歩きの男性遍路と出会ったので、聞いてみる。

「十夜ヶ橋は、まだ先でしょうか?」
「え?」
わからなかったようだが、男性遍路は手にした地図を広げた。
「とよがばし」と言ったのがわからなかったかも。実は僕も以前は「じゅうやがばし」と読んでいた。
「あ、ここです」場所を示すとそのお遍路は、
「そこなら、もう少し先だね、今、ここだから」と教えてくれた。よかった、まだ先だ。
お礼を言って走る。

十夜ヶ橋は、それからすぐ近くにあった。橋は思ったよりも、うんと小さかった。そして何より、お大師様の像がある場所がわからない。手前の永徳寺はわかるのだが。橋の下にある、というのは知っていたが、降り口はどこだろう?

うろうろして、ようやくわかった。橋を渡った所にあったのだ。おかげで反対側から降りてしまった。入ってもう一度びっくり。お大師像が思っていたよりずっと小さかったからだ。何となく、タイの涅槃仏のような大きなイメージを持っていたのだ。

思ったより小さかったお大師像

参拝を終わって永徳寺で納経をしてもらう。ついでに珠も買う。別格は鯖大師以来二つ目。念珠になるのは当分先のことだ。8時40分出発。この時入れ違いに、先ほど道を教えてくれた男性遍路が入ってきた。次の目的地は内子だ。

相変わらず56号を走る。標識にしたがい走っていると、やがて内子町役場が見えてきた。しかし、周りに古い町並みもないし、内子座らしき建物もない。静かな田舎町だ。道を聞こうにも人がいない。ぐるぐると走り回ったあげく、ようやく年配の女性に出会った。とりあえず内子座を目印に聞く。随分離れている。どうやら町村合併で、違う(?)内子町に来ていたようだ。

トンネルをくぐり、しばらく走って橋を渡ると、にぎやかな町並みが見えてきた。町の入り口に喫茶店があった。 そこに入ろうかと思ったが、もう少し町を見てみることにする。連休ということもあって、町は人であふれている。

街角で30代くらいの女性遍路が地図を見ている。挨拶をして、ついでに内子座の場所を聞いてみる。
「え?内子座に行くの?」と聞き返された。
「いえ、せっかく来たので、ちょっと見たいなと思って」あわてて言い訳をする。
「この道をまっすぐ行って、ちょっと右に入ったころにありますよ」と教えてくれる。彼女も見てきたらしい。お礼を言って、内子座まで。

太秦映画村のセットを思い出す内子座

時代劇のセットのような芝居小屋だ。名古屋にもわずかに残っている、大衆演劇の小屋のようなものを想像していたが、それとは違って随分立派だ。しかし妙に手が入って、あまり歴史は感じさせない。きっと、中に入ると違うのだろう。今回は写真だけ撮って、すぐにルートに戻る。町中は人だけでなく、馬車型の小型バスなども走っていて、自転車は走りにくい。

また別の、眼鏡をかけた若い女性遍路がいたので、挨拶をして先に行く。が、食べる所がない。一軒あった中華料理屋も準備中。仕方ないので戻る。途中、挨拶した眼鏡の女性遍路とまた出会う。怪訝そうな顔をしているので、 「食べるとこを探してるんです」と言い訳。

結局、最初に見た喫茶店に入る。フランス料理店といっても通用しそうな上品な内装だ。
「モーニングはできますか?」と聞いてみる。
まだ10時だから大丈夫だと思ったのだが、ちょっと夢路いとしに似たマスターは心外そうな顔をしながら「できますよ」と言う。何かまずいこと言ったのかな?

お願いしてから探してみると、やっぱり「サラリーマン金太郎」が置いてあった。続きを読む。モーニングは皿にトーストやサラダを盛り付けた上品なもの。こだわりの喫茶店かもしれない。食べながら見ていると、マスターは外に回って、僕の自転車を眺めている。やっぱりこだわりの人?35分ほど休憩して、喫茶店を後にする。

ここから国道379号に入り、川に沿って登っていく。最初はなだらかな坂だ。疲れた脚でも気持ちよく登っていける。たぶん、風も追い風なのだろう。しかし日差しは強い。通りがかりの交通標識の温度計は25度となっていた。

しばらく走ると、先ほどの眼鏡の女性遍路に追いつき、ちょっと話をする。国道379号と380号が分かれるあたりが今日の目標とか。話している途中、青いレーシングジャージに身を固めたロードレーサーが降りてきた。手を上げると、軽く手を上げて挨拶する。確かに練習にはいいコースかもしれない。僕もあと30歳若ければ、走るかもしれない。

女性遍路と別れて、どんどん進む。日陰がないので暑い。途中の自販機で飲み物を補給し、日陰を求めて走る。男性のお遍路が一人、暑い中、座り込んでいた。お互い手を上げて挨拶。やがて木の枝が張り出していて、日陰となっている場所を発見。停まって一休みする。といっても5分ほどだが。

再び登り始めると、またロードレーサーが降りてきた。先ほどのレーサーとと同じチームらしい。サポートの女性がついている。軽く手を上げるが、ロードの男性はへばっているのか、うなずくだけ。女性は、ちょっとバランスを崩しながら、手をあげて応えてくれる。自転車に乗っての、とっさの挨拶は意外に怖いものだ。

道が分岐している場所があった。新しい道のようだ。三叉路に停まって地図を見ながら考えていると、横に銀色の大型スクーターが停まった。地図を眺めている間、黙って停まっている。信号もない交差点だ。これはやばいかな、と思って顔を上げて挨拶すると、運転している色の黒い太った男性は初めて口を開いた。
「お寺、回ってるんやろ?」
「ええ」
「このまま道をまっすぐ行けばいいよ」と言って去っていった。
こういう親切をなんと表現したらいいかわからない。

細い、昔の街道といった雰囲気の道を進む。まだ傾斜はそれほどでもない。たまに道の両側に商店などが建っている。高知よりも人口密度が高いのだろう。食料品店は、あるだけで安心する。名古屋の日常では味わえない感覚だ。

車1台がやっとの細い山道にある商店

また枝道がある。たぶん直進だろう、と思って停まって見ていると、横に先ほどの銀色のスクーターが停まった。

「44番から回るんか、45番から回るのか、どっち?」
「45番から回ろうと思ってますが」
ここはルートの関係から、逆打ちのつもりだった。
「ほんならこの道でええ。44番やったらさっきの道を曲がった方がよかったけど」
そう言い残して男性はUターンして引き返していった。このために10分近く追いかけてきてくれたようだ。再度、ありがとうございます。

途中、先ほどの女性遍路の言っていた分岐があった。その先のAコープの前にバス停があり、屋根もあったので、そこに座り込んでここでも10分ほど休憩。ちょうど12時になったところで、有線放送がエーデルワイスを流していた。どこかの加工場で働いていたらしい女性数人が、Aコープの方に歩いてくる。農業では今日は休日ではないようだ。

Aコープのある小田という町を通り過ぎると、坂は本格的になってきた。横を流れる川の流れはどんどん細くなる。最後は小川になった。当然、坂もきつくなる。

どんどん急になる坂に、「ちょっと景色でも眺めるか」とか自分に言い訳しながら脚を止める。つらいというより、つらいのに飽きてくる。ここで僕はあらためて発見した。いくら休んでも考えても、坂は消えてくれないのだ。ユーレカ!というわけで、ひたすらペダルを踏む。

さんざん重たいペダルを踏んで、もうそろそろ頂上か、と思ったところに三島神社が見えてきた。ポケットの地図をみると、ここが410m地点。げっ、あと160mほどを1kmぐらいで上がらないといけない。ちょっとめげた。

道は当然つづら折り。くねくね曲がりながら登っていく。昨日の歯長トンネルへの道同様、「いのち、だいじに」走法で走るが、それでも、しばしば脚を止める。ほんとにきつい。押し歩くことはなかったのが、走法の効果といえば効果だ。

登ってきた道が下に見えるのは気持ちがいいが、あとどれだけ登るのか見当がつかないので、ひたすら足元を見つめてペダルを回す。随分長い時間だった気がするが、坂と格闘したのは25分ほどだった。頂上の真弓トンネルの入り口が見える。同時に体の力が抜ける。入り口手前には、休憩用のあずま屋があった。倒れこむように自転車を停めて中に入る。

中には学生風の若い男性がいた。周りはマンガとかビデオテープが散乱している。どうやら、ここに泊まったようだ。

「こんにちは」と挨拶すると、明るい笑顔で「こんにちは」と言う。

こちらは話ができる状態ではなかったので、しばし無言でお茶などを飲む。やがてその青年が話しかけてきた。香川から来たと言う。そのうち、連れの女性も来て横に座った。

彼らは香川から来て、「四国道の駅制覇ツアー」を敢行中だという。数年前に一度回ったのだが、それから20ほど増えたので、新しい道の駅を回っているとのこと。いろんな巡礼があるものだ。

話し好きな明るい青年で、仕事や趣味の釣りの話などもする。若く見えたが33歳だという。これからSEの仕事をするらしい。これは励ますしかない。しかしショックだったのは、屋島のケーブルカーが廃止になったという話。これは知らなかった。屋島寺は自転車で登れるのだろうか。それとも歩くか。彼らはついでに、八栗寺近くの、美味しい讃岐うどんの店も教えてくれた。
「その店も美味しいけど、香川の讃岐うどんは、チェーン店じゃなければ、だいたい美味しいですよ」とも。

話し込んでいるうちに30分もたってしまった。いかんいかん。彼らに別れを告げて、トンネルに向かう。トンネルを出ると、道は急に下っていく。久万高原というからには、そんなに下りはないかと思ったら、そうでもなかった。

■今日、最初の札所

四十五番霊場「岩屋寺」

(15:40/本日 93.4km/累計 466.6km)

30分ほどで坂を下りきり、そこにあった食堂に入る。2時20分だった。

時間が気になるが、空腹には勝てない。きつねうどんを素早くすすりこむ。食べ終わると、おかみさんが岩屋寺、大宝寺への道順を教えてくれる。最後に、今日は浄瑠璃寺まで行くというと、ちょっとあきれたような顔をした。そんなに無謀な計画だったのか?2時35分出発。

岩屋寺までは、川沿いの道を、軽いアップダウンを繰り返しながら走る。向かい風が邪魔だ。あまり変化のない道を、1時間近く走ると岩屋寺の案内が見えてきた。歩きのお遍路も何人か見える。ご夫婦らしき遍路もいた。

短いトンネルを抜け、左折して小さな橋を渡る。岩屋寺の駐車場だ。手前の駐車場にいるおやじさんに、自転車を停める場所を聞く。おやじさんは、駐車場の看板の前に停めさせてくれた。

「岩屋寺、歩いて20分」という看板を見つけた。
えーっ、そんなにかかるのか。ほんとうに時間が心配になってきた。とりあえず歩く。登り口近くには、いろんな売店が出てにぎやかだ。「みのもんたの番組で評判の・・・」などと書いた看板が目をひいた。

しばらく続く坂道では、靴の底に着いた、ペダル用の金具(クリート)が歩きづらい。ちょうど力の入る部分に付いているので、坂では滑ってしまう。しかしこれで楽もさせてもらっているので、文句も言えない。20分はかからなかったが、10分近くかかって本堂に到着。見る角度の問題だろうが、写真で見るほうが迫力がある。本堂の横から登る、逼割禅定(せりわりぜんじょう)から見れば違うのかもしれないが、今回は時間がない。

迫力ある山門
有名な、岩に埋め込まれた本堂

急いで参拝して、納経所へ。こんな時に限って、一人で納経帖やら軸やらを大量に持ち込む人が何人もいる。諦めの心境で、ひたすら納経の列に並ぶ。

ようやく僕の番が来て、朱印をいただく。ついでに何か紙をはさんでくれる。見ると「朱印はコレクションでも美術品でもない。お祈りをしたことの、住職の保証書」といった意味のことが書かれていた。実にごもっともだが、現実にはコレクターというか商売人も多いし、「代参」という習慣もあり、札所側でも断れないようだ。結局こうしたチラシで訴えるしかないのだろうな。

急いで降りる。今度は滑って転ばないよう、注意して歩く。駐車場のおやじさんにお礼を言って出発。16時20分。

■ロスタイムで、なんとかクリア

四十四番霊場「大宝寺」

(17:--/本日 100.1km/累計 478.4km)

距離にして次の大宝寺まで8.4km。普通の道なら30分程度で行ける。

しかし、またこんな時に限って、というやつが現れた。登り坂という名のマーフィ君である。それも結構強烈な上りだ。岩屋寺を出てすぐ登りが始まり、延々と続く。

もう「いのち、だいじに」なんて言っていられない。「がんがん、いこうぜ」走法に切り替える。ただ疲れきっていると、あんまり差はないかもしれない。がんがん走っても、すぐエネルギー切れ&乳酸たんまりで脚が止まる。あとは気力で走る。

坂と悪戦苦闘しているうちに、少しずつ距離は縮まる。時計など見ている余裕もない。エネルギーの続く限りペダルを踏み、燃料が切れたら息を切らせながら停まり、何十秒か、エネルギーが貯まるまで待つ。そして走り出す。

だいぶ近づいたなと思う頃、道で地元の女性に出会った。
「大宝寺まで、あとどのくらいでしょう?」思わず聞いてしまった。
「何百メートルくらいかなぁ。1kmはないと思いますよ」。
この言葉を信じて走ったが、1km過ぎても札所の影も形もない。やっぱり自動車の感覚とでは、随分違うのだ。

やっと坂を登りきり、下りに差しかかると大宝寺の案内が見えた。うどん屋のおばちゃんに、うっかりすると見過ごすから気をつけて、と言われていたものだ。

最後の坂を、小学生の乗るマウンテンバイクを大人気なくぶち抜く。あきれたような小学生の顔を横目に、大宝寺の駐車場に辿り着く。時間がもったいないので、さらに参道入り口まで自転車で走る。そこに自転車を放り出して、急いで階段を登る。そして納経所に走りこむが・・・タッチ、アウト!納経所の窓は無情にも閉まっていた。この札所には「ちょっと」はなかった。

ただ閉まったガラス戸の向こうに、若い女性が一人、売り上げの計算をしている。

詳しいことは企業秘密だが、まあ、その、「ちょっと」というやつが現れてくれた。しかし、これでは納経を商売にする人間を責める資格はないな。反省した分、熱心にお参りした。もちろん、灯明、線香はなしで。

緑の中にたたずむ古刹
ここも落ち着いたいい札所だった

5時30分出発。

■自業自得、恐怖の暗闇ダウンヒル

三坂峠

(19:05)

今回はここで計画の甘さが露呈した。これからまだ、標高710mの三坂峠越えが待っている。久万高原で宿をとっておくべきだった。後悔先に立たずだ。大宝寺の駐車場から、今日の宿の長珍屋に電話を入れる。

「ちょっと遅くなりますので・・・7時過ぎには」
「大宝寺からだと、えらいかもしれませんね」
「では8時頃」
「そんなにはならんやろけど」
と言ったことで、延着の断りを入れる。初めから大宝寺の宿坊あたりに予約しておけば、何の問題もなかったのだが。

その辺で、さっきのマウンテンバイクの小学生の仲間が遊んでいる。そのうち一人をつかまえて、国道への道を聞く。大人とマークの対象が違うのでわかりにくかったが、なんとか理解できた。そのまま道を下って右に曲がり、国道に出る。角にあるコンビニで、飲み物を補給する。

ところがここで大ミス。道路標識を見損なって反対側に走ってしまった。なんだか雰囲気が違う。若い衆を一人つかまえて聞いたら、
「合宿で来ているのでわかりません」とのこと。
ここは本州で言えば菅平みたいな所で、ラグビーなどの合宿地として有名らしい。

と、右手から、ヘルメットをかぶった自転車乗り男女が降りてきた。聞いてみるが、地元の人間ではないらしく、三坂峠そのものがわからないようだ。あきらめてさらに進むと、コインランドリーに人が居た。そこで聞いて、ようやく反対に走っているのがわかった。2kmはロスをしたな。

Uターンをする。するとさっきの自転車乗りがうろうろしている。トラブルかと思って聞いてみる。お父さん(といっても僕よりだいぶ若い)が娘さんと一緒にサイクリングに来て、奥さんにピックアップしてもらう場所がわからないようなのだ。二人で真弓トンネルを越えてきたらしい。娘さんは中学生くらい。たいしたもんだ。

待ち合わせ場所は大宝寺の駐車場とか。それなら僕でもわかるので、後についてくるように言って先行する。途中で待ち合わせ場所が久万町役場に変わったようだ。そこで別れて、僕は三坂峠へと走り出す。

登りかけたところで、寒くなってきたのでアームウォーマーを着ける。ついでに一休み。そこへ近所の人らしきおやじさんが歩いてくる。風貌が殿山泰司にそっくりだ。
「大変やな」。おやじさんが声をかけてくる。
「今、心の準備をしてるとこです」
「三坂峠までやな、しんどいのは。頑張りや」
そう言って親父さんはゆっくり歩いていった。
大島渚の映画の一場面みたいだ。
この時点で6時を回っている。陽も落ちて、周りは薄暗くなってきた。

今度は「いのち、だいじに」走法で、無理をせず、確実に進む。というか、それしか脚が動かない。さっきの「がんがん、いこうぜ」で、完全にエネルギーを使い果たした感じだ。たまに休むのも、ほんの1〜2分。それ以上休むと、脚が動かなくなりそうで怖い。

坂は、真弓トンネル前の九十九折りに比べると、はるかに楽だ。しかし延々と登りが続く。後で地図を見ると、距離にして7〜8kmあった。この間、とにかく登りづめだ。疲労困憊しながらペダルを踏んでいると、ふっと楽になる。お大師様のご加護か、はたまたアドレナリンが回りすぎたのか。飲み物を買うため自販機の前で停まって理由がわかった。かなりの追い風が吹いている。風に助けられて、とにかく登る。

やがてトンネル工事の現場が見えてきた。第1三坂トンネルというらしい。現場から少し上がった所に、トンネル工事の概要を説明した看板が立っていた。全長は覚えていないが、今日の時点で貫通まであと2mとか。完成は来年のようだ。もう少し早く完成していたら多少楽ができたのに、と勝手なことを考える。

工事現場から、さらにひたすら登っていくと「三坂峠」という看板が現れる。やった!ようやく峠だ。時計を見ると7時5分。1時間も登っていなかったことになる。これも後で地図を見ると、標高710mとはいうものの、大宝寺とは200mほどの高低差しかない。疲れと切迫感がなければ、もっと楽だっただろう。

峠を越えた時点で、ほぼ夜になった。さすがに国道だけあって交通量も多く、ところどころに街灯もあるので真っ暗ではない。しかし九十九折りの下りは、そのまま走っているとすぐ時速50kmを超えてしまう。ブレーキを握り締め、そして車のヘッドライトから逃げながら坂を下る。

右手を見ると、眼下に都会の灯りが広がっていた。松山だ。思わず道路の右端に自転車を停めて眺める。それは、ビクトリア・ピークから見る香港島の夜景よりも美しく見えた。

写真で見ると(実際も)
たいしたことはないけど、
100万ドルの夜景だと思ってみてください

しかし、ここでも見落としていた。松山の灯りは、まだ随分遠くに見えている。そして今日の宿はそこにあるのだ。

下り坂はカーブを描きながら続く。30分ほど降りたところで塩ヶ森トンネルに差し掛かる。地図を見ると、ここから浄瑠璃寺への道が出ている。しかし暗いせいもあってわからない。電話で宿に尋ねようとしたが、電波が届いていない。今度は坂を、見通しのいい場所まで登る。やっと電話が通じた。塩ヶ森トンネルを越えてしばらく行くと看板が出ているそうだ。それに従って果樹園の中を走れという。再度下って見るが、看板は見当たらない。暗闇の中で見落としたようだ。

・未知との遭遇?から宿へ

仕方なく、そのまま下り続ける。こうなったら、いったん松山まで出て、引返そうと気持ちを切り替える。と、闇の中に忽然と、光のかたまりが現れた。煌々と照明をつけた、大きな果物市場だ。まるで「未知との遭遇」で砂漠に現れた、光輝く巨大UFOのようだ。

すぐに自転車を市場の駐車場に向ける。自転車を停めて、近くにいた若い男性に声をかける。すると奥から出てきたおかみさんらしき人が、応対してくれる。

「遍路道は暗いと危ないよ」と言って、僕の持っている地図の裏に、手描きで地図を描きながら説明してくれた。教えてくれたのは、松山市の動物園の中の有料道路を通って、八坂寺の近くに抜ける道だ。
「地元の人の教えてくれる道は、わかりにくいからねぇ」という話し振りから、このおかみさんもお遍路経験者のようだった。

何度もお礼を言って、再び自転車に乗る。

そこから、また真っ暗な国道を10分ほど下り、ようやく街の灯りが見えてきた。しかし、なんであんな所に果物市場があるんだろう?今思い出しても不思議だ。ブラッドベリの作品に出てくる、カーニバルを思い出す。

■ようやく宿に到着

長珍屋

(20:30/本日 131.6km/累計 509.9km)

街に入ると安心したせいか、寒くなってくる。ウインドブレーカーを着て、教えてもらった道を走る。有料道路は、おかみさんの言ったとおり、自転車は無料だった。その代わり道は小さな丘を登る。疲れている脚には堪える。途中、散歩をしている人などに聞きながら、ようやく長珍屋にたどりつく。8時半だった。

自転車を玄関前に停め、まずはフロント目指す。中のロビーには、歩きらしいお遍路が数人集まっていた。僕の姿を見ると「おっ、自転車だな」などと声をかけてくれる。しかしふらふらの状態なので、引きつった顔で会釈を返すくらいしかできない。

土産物の売店の中にあるフロントで、遅くなったお詫びを言い、部屋に案内してもらう。長珍屋は遍路宿というよりはビジネスホテルだ。中は宇和パークホテル以上に複雑だ。

とにかく用意してくれていた食事をかきこみ、ビール1本飲んで人心地がつく。品数も多く、豪華な食事だったが、あせって食べたので味もわからなかった。すぐに風呂に入り、部屋に戻ってKさんから送ってもらったJRの空席情報を検討。やはり予定を1日早めて、明日帰ることにする。結局Kさんには、最初から最後までお世話になってしまった。ありがとうございます。

この日は肉体的にも疲労困憊したが、最後の暗闇ダウンヒルで精神的にも参った。ビールを飲み、部屋で焼酎を飲んでも神経がぴりぴりしている。おかげであまり眠れなかった。

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