自転車なお遍路イメージ
2005年春
はじめに
5月2日(往路)
5月3日(1〜11番)
5月4日(12〜17番)
5月5日(18〜22番)
5月6日(復路)
2005年夏
7月15日(往路)
7月16日(22〜23番)
7月17日(24〜27番)
7月18日(28〜32番・復路)
2006年春
4月29日(往路)
4月30日(32〜36番)
5月1日(37番)
5月2日(38〜39番)
5月3日(40〜43番)
5月4日(44〜45番)
5月5日(46〜51番・復路)
2007年春
4月27日(往路)
4月28日(51〜58番)
4月29日(59〜64番)
4月30日(65〜66番)
5月1日(67〜76番)
5月2日(77〜83番)
5月3日(84〜88番)
5月4日(1番・復路)
2007年冬
12月8日(高野山)

■南国の風情ただよう遍路道。

二十四番霊場 最御崎寺(ほつみさきじ)

(8:15/106.0km)

徳増の朝食は7時からだが、お遍路は6時半から出してくれる。食事をして自転車に荷物を載せて、出発したのが7時10分。一泊二食で6300円。ビール、お酒各500円。

今朝は歩きのお遍路を見かける。昨日は途中の市場で買い物をしていた一人にしか出会わなかったのだが。皆さん、近くの宿に泊まっていたのだろう。中には若いカップルのお遍路もいた。7人ほどのお遍路に「おはようございます」と声をかける。皆さん、人懐っこい笑顔で挨拶を返してくれる。

やがて夫婦岩にさしかかる。夫婦岩は、名古屋方面では三重県二見浦のものが有名だ。二見の夫婦岩は波に洗われてまろやかな造形だが、高知のものは二見浦に比べて厳しく、いかにも土佐、という感じがする。

荒波に耐える厳しい夫婦岩

夫婦岩を通りすぎると、やがて大きな「青年大師像」が見えてくる。その足元近くに、若き弘法大師が修行したという御蔵洞ががある。「空海の風景」を読んだ印象で、険しい山腹の崖っぷちにでもあるように思っていたが、実際は道路に面した所にあった。昔はこの場所も岩だらけの海が迫り、十分険しい地形だったのだろう。

洞窟が二つあり、ともに社になっている。一つを見学し、もう一つに入ろうとすると、洞窟内で中年の男性と家族連れが話をしている。「これで頭がすっきりしたやろ。耳を掃除するようなもんや」。男性が、高校生くらいの少女に「除霊」のようなことをしているようだ。事情はわからないが、近づく気がしなくてそのまま自転車に乗る。

最御崎寺へ登る遍路道を探してどんどん進んで行くと、室戸岬を越えて最御崎寺へのスカイラインに出てしまった。間違えた。行き過ぎた。地図をみて慌てて戻る。登山道は先ほどの御蔵洞のすぐ脇にあった。

8:15、自転車をガードレールにくくりつけ、歩いて登山道を登る。

登山道の登り口付近は、イモ科の植物だろうか、大きな葉が茂る。これまでの遍路道などではあまり見かけなかった、南国風の植物である。まだ朝だというのに、途中でへばりそうになる。立ち止まりながら15分ほど登ると最御崎寺の山門に着いた。

登山道の正面に現れる山門

お参りをして納経所に行くと、いくつかの小さな団体と鉢合わせ。中には先達さんも含めて女性ばかりの団体もいた。納経所には一人しかいないので時間がかかる。しかし鼻にチューブを入れて、苦しそうな老僧が納経をしているのを見ると文句も言えない。再び登山道を下り、9:20出発

■漁師町に映える朱の山門。

二十五番霊場「津照寺」(しんしょうじ)

(9:45/111.7km)

再び室戸岬を回り、海沿いに進む。左手には堤防ごしに海が広がり、空は青く晴れ上がっている。季節さえよければ最高の天気だが、今は晴れ上がった空がうらめしい。新しいきれいな道が海に沿って続く。ただ街路樹のシュロの葉が枯れかけているのが哀れだ。途中、2台のロードレーサーが追い抜いていった。レースの練習をしているらしい。今回は追いかける気力もない。そもそも実力もないのだが。

いくつか集落を過ぎると、津照寺への案内看板が見える。案内にしたがって港町に入っていくと津照寺に出た。降り注ぐ陽光と青い空の中で、朱色の山門と楼門が美しい。

参拝が終わってから納経所に行く。やはりちょっとこんでいる。並んで見ていると、30代くらいのお坊さんが納経する人2〜3人まとめて、「お礼参りは一番に行く必要はない」とお説教している。当然僕もお説教される。つい「じゃ、お礼参りはどこへ?」と聞いてみた。「高野山です!」。なるほど。しかし来る人全部にお説教するなんて、すごいエネルギーだ。

10:20出発。

陽光に映える朱塗りの門

■遍路道を歩いて登る。

二十六番霊場「金剛頂寺」

(10:40/114.8km)

ここもちょっとした山の上にお寺がある。55号から山の方角にそれ、細い道をしばらく進むと「金剛頂寺」への遍路道の入り口に着く。静かな農村のはずれだ。そこにあった案内板に自転車をくくりつけ、歩いて登る。最御崎寺より多少距離があるが、それよりも傾斜はなだらかで楽だった。それでも暑さに息があがる。頭にまいた手ぬぐいは、絞ると汗が出てくる。

静かな農村のはずれにある
遍路道の入り口

ここでも団体さんと鉢合わせ。納経所には年配のお坊さん一人しかおらず込み合う。途中、納経をしてくれているお坊さんが「もう一人、その裏にいるんやけど、誰か呼んできてくれんか」と納経者に声をかける。朱印を頂いた女性が「行ってきてあげるわ」と呼びに行ってくれた。来たのは綺麗な若奥さん風の女性。年配のお坊さんは女性に、ちょっと遠慮している感じだ。以後、スムーズに進む。

納経所に並んでいる時、中年男性から声をかけられた。「歩きですか?」「いえ、自転車です」「暑くて大変ですなあ」。そんなやりとりがあった。男性はタクシーの運転手らしい。お客さんを乗せてきて、ついでに自分も納経しているようだ。男性がお坊さんに「駐車場の領収書、もらっていきますよ」と言うと、納経所のカウンターに積んであった領収書を一枚取る。

納経が終わったあと、駐車場にある売店に入る。アイスクリンを買って、中で食べる。カウンターがあって、ちょっとした喫茶店のようになっている。ここではコンピュータを使って、金剛頂寺グッズをつくっているようだ。「歩きですか?」と聞かれ、自転車で来たと言うと、「国道でも何台もつながって走ってるのをよく見ますよ」とのことだった。フラットで路面もいい国道55号は、ロードサイクルのいい練習場のようだ。

11:45出発。

海岸沿いを走る国道55号

■車のお接待を受ける。

二十七番霊場「神峰寺」(こうのみねじ)

(15:00/144.6km)

再び国道55号に出て走る。さらに気温は上がっているようで、ちらりと見えた温度計は35度だった。頭もぼーっとしてくる。

12:30頃、町に差し掛かり(たぶん吉良川)、こぎれいな食堂を見つけて入る。親子丼セット(うどん付き)を頼む。930円。ついでにカウンターにあったセルフサービスの水差しから、ふんだんに氷水を飲ませていただく。生き返る。 13:15出発。

奈半利町の中心部近くに差し掛かると、国道沿いにヘンロ小屋が目に入る。チェーンのお寿司屋さんが設置しているようだ。しかしこの暑さだと、休むんなら喫茶店にでも入ってしまいたい。

奈半利町の遍路休息所

14時過ぎ、いよいよ今回一番の難所、神峰寺に差し掛かる。最初はなんとか乗ったまま進むが、やはり途中から降りて歩く。麓近くは棚田が広がり、木陰がほとんどない。少しの日陰を探して自転車を押し進める。何人かの歩きのお遍路とすれ違う。笑いながら「たいへんやな」と声をかけてくれる人もいる。実のところ、挨拶をするのが精一杯。

「神峰寺 これより千五百メートル」の看板がある。このすぐ後ろで、遍路道と車道が分かれる。

看板の後ろに遍路道への入り口がある
ここが運命の別れ道

自転車を置くならここだろう。しかし何を血迷ったか、後1500mなら車道を押し上げようと決める。判断ミスだったかもしれない。坂はここからが本番。厳しくなる一方だ。300mほど進んだところで、追い抜いた軽トラがいったん停まると、バックで戻ってきた。横に停まると運転している人が声をかけてきた。「大変やろ。乗っていくか?」

歩きの場合、よく自動車のお接待を受けると聞いていたが、まさか自分がそんな立場になるとは思ってもいなかった。一瞬とまどったが、思わず声がでた。「お願いします」。
正直、自分がかなり情けなかったが、暑さにだいぶ参っていた。その人も「ほう」という感じだったが、「じゃ、自転車も積んでいくといい」と言って、自転車を荷台に置かせてくれた。

「普通はあの分かれ道に自転車を置いて、歩くけどな」。ほんと、そのとおりです。力なく相づちを打つだけだった。

助手席に乗せていただいて、10分ほどで駐車場に着く。しかしそれを無視して、車は山門の奥まで乗り入れた。「お寺の関係の方ですか?」。たずねても男性の返事は曖昧だった。それ以上聞くのは失礼なのでそのまま乗せてもらった。しかし、あらためて登ってきた道をみると、自転車を押してたどりつくには、間違いなく1時間以上かかっただろう。

乗せてくれた人は急いでいるようだったので、何回もお礼を言って自転車を降ろす。すると70年配の男性が声をかけてきた。
「よかったな、乗せてもろうて。車で登ってくる時見て、大変やなと話していたんや」同行の奥さんの方を見て言う。どうやら自転車を押し上げているのを見て、ご夫婦で心配してくれたようだ。どうもご心配おかけしました。

本堂で参拝をしていると、乗せてくれた男性が白い法服に着替えてやってきた。ご本尊の前に座ると、合掌しながら口上を述べ始めた。聞いていると、彼は地元の病気の人に代わって、お参りに来たらしい。これから7日間通うという。

大師堂を参拝して本殿への階段を降りていると、本堂から何人ものお坊さんがお経をあげるのが聞こえてきた。先ほどの男性と共にお経を唱和しているようだ。

お参りを終え納経所を出たところで、先ほどのご夫婦とまたお会いし、ベンチに座ってご主人と話をする。今回で2巡目で、高知市から放射状に、日帰りで回っているとか。
「これだけの人が回ってるというのは、必ず何かあるんや。わしも一度回ったら、また回りたくなってな」
足腰の弱っていたお婆さんが、お遍路で元気になった話などを聞く。

昔のお遍路の話も聞かせてくれた。
「昔はこんなに元気な人や若い人はおらんかったなぁ。体がどこか悪いか、身内に不幸があった人ばかりやった」。自動車で回れるようになって、それから変わったそうだ。

そばで奥さんがこのお寺の名水をボトルに汲んで、話が終わるのを待っている。僕も水を頂くことにして、ご挨拶をしてご夫婦と別れた。水は美味しかった。柄杓で数杯飲み、ペットボトルのお茶を全部飲んで、中に水を詰め込んだ。

15:55出発。

下りは握力テストをしながら自転車に乗っているようなものだった。ちょっとでも手を緩めるとスピードが出すぎてしまう。とはいっても10分少々で麓まで降りられた。

さて次は宿だ。今日はまだ決めていない。今朝までの予定では、安芸市あたりに泊まる予定だった。しかし車のお接待のおかげで、思った以上に時間が短縮できた。行けるところまで行って、宿を探すことにする。

途中、「道の駅・大山」で一服。神峰寺を打ち終えて、ちょっと気が抜けた。ベンチに座っていると、20代も前半の青年が話しかけてきて、しばらく話す。「仕事しながらお遍路できるて、今が一番いいときと違いますか?」と言われてしまった。何とも言えず、「そうかもしれないね」と答える。彼は何度も「こんなに近くに住んでいるのに、お遍路で回ったことがなくて」と繰り返した。これにもどう答えていいのか分からなかったので笑ってごまかす。

道の駅を出て走っていると、後ろからバイクがクラクションを鳴らして追い抜いていった。先ほどの青年だった。

■夕日に向かって、汗だくで走る。

夜須サイクリングターミナル

安芸市に入ったのが16時過ぎ。そここにタイガースの旗が見える。春のキャンプの名残だろう。明日に備えてもう少し進んでおきたい。そこで昨日、徳増のおかみさんに借りた資料に載っていた、夜須町の国民宿舎「海風荘」に電話してみる。

しかし満室で断られてしまった。あてにしていただけに焦る。安芸市役所の前に電話ボックスがあった。中で電話帳を調べてみるが、地域別になっていて、位置関係がどうもよくわからない。そうこうしているうちに、電話ボックスの中は西日にあぶられてサウナのようになってきた。たまらず外へでる。

南国市まで35kmと標識が出ている。いっそのこと、南国市でビジネスホテルを探し、それでダメなら、あと10km走って高知市でサウナでも探そう。我ながら無謀な計画だと思いながらそう決める。夕方になると、体は疲れてきても、気持ちは逆にハイになってくる。この決断もそのせいかもしれない。ただ途中にホテルか旅館があればそこに泊まることにする。

国道55号を西に向かって走る。正面から夕日に照らされ、眩しい。サングラスを持ってくればよかった。国道の横には、鉄道線路跡を利用してつくられた自転車道があって、当初はそちらを走る予定だった。走りやすそうな道だ。しかし旅館の案内看板は国道沿いにしかないだろう。そんな訳で、走りにくさに耐え、電柱の看板を探しながら国道を走る。

5時を過ぎると雲が出て西日をさえぎってくれる。おかげで随分走りやすくなった。だが旅館やホテルの看板は見えない。

国道の右側に、立派なホテルが見えてきた。土佐ロイヤルホテルと看板が出ていた。結婚式場、最上階バーラウンジあり。一瞬考えたが、却下。白衣でロビーをうろつける雰囲気ではない。そのまま進む。

途中2回コンビニで飲み物を買った以外は、ほとんど走りづめだった。夜須町に入ってしばらくすると、「サイクリングターミナル」の標識が目に入った。ネットのレポートの中に「サイクリングターミナルに宿泊」という記述があったのを思い出す。泊まれなくても、宿の情報が手に入るかもしれない。道を逸れて「サイクリングターミナル」を目指す。

数百m走ると目的の施設はあった。テニスコートがあって、若い女性がテニスをしている。だがサイクリングというのに駐輪場らしきものもないし、そもそも自転車の影も形もない。事務所で人の気配がするので中に入ってみる。

裏手から見たサイクリングターミナル

町営の施設らしい。男性職員が一人いた。宿のことを尋ねると、ここでも泊まれるが、今日は時間的にダメだという。要予約ということらしい。そこで近くの宿を尋ねてみた。
「今日はどこも一杯じゃないかな。海風荘はどうかな」
「そこは先ほど断られまして」
「じゃ、『かとり』はどうだろう。大きいから何とかなるかもしれない」

「かとり」は徳増のおかみさんも「お遍路さんがよく泊まると聞いてます」と言っていたところだ。昨日の時点ではここまで来られると思っていなかったから、考慮に入れていなかった。距離を聞くとほんの3〜4kmだとのこと。それなら行ける。

電話番号を尋ねると、ロビーの公衆電話の所まで行って電話帳で調べてくれた。早速電話してみる。おかみさんらしい女性が出て「大丈夫です。空いています」とのこと。助かった。職員の男性ににお礼を言って「かとり」に向かう。

ちなみに「サイクリングターミナル」というのは、日本自転車振興会からの補助で造った保養施設、ということらしい。自転車とは直接関係はないようだ。だから僕に宿を教えてくれたのも業務とは関係ない。ありがたいと思う。

■やっと宿にたどりつく。

<旅館かとり> 

(19:10/180.8km)

18:45に「サイクリングターミナル」を出て国道に戻り、「かとり」を目指す。途中の町で、浴衣を着た男女の姿を目にする。夏祭りのようだ。「絵金祭り」の看板が目にはいる。ひょっとして、あの「絵金祭り」か?

お祭りの人並みを過ぎて坂を登ると、電話口で説明されたように食堂が見えてきた。そこが「かとり」だった。ロビーに入って行いこうとすると、法被を着た、青年というか、少年に近い若々しい男性が出てきた。坊主頭で色浅黒い、精悍な雰囲気の青年が出てきた。一昔前の高校球児のようだ。

「先ほど電話予約したものですが」
「うかがっております。自転車をお運びします」
びっくりした。まるで一流ホテルのドアマンのようだ。もっとも一流ホテルに自転車で乗りつける客も、日本では少ないだろうが。自転車は駐輪場を教えてもらい、自分で運んだ。

部屋に案内してくれようとしてから「あ、ちょっとお待ちを」と言っていったん奥に引っ込んだ。氷水の入ったおおぶりのコップを手に青年は戻ってきて、部屋に案内してくれた。荷物も持ってくれようとしたが、これも丁寧にお断りした。部屋に入ると「どうぞ。喉が渇いておいででしょう」と氷水をテーブルに置いた。

さらに尋ねるままに、近くで「絵金祭り」があること、28番「大日寺」までの距離など、必要なことを簡潔に教えてくれた。フロントマン、ドアボーイ、コンシェルジェを一人でこなしている。これまで公私含めて何百というホテルや旅館に泊まってきたはずだが、こんなに小気味いい対応は初めてだ。

食事は10時、風呂は12時までOK、と言うことなので、疲れも暑さもなんのその、荷物を置いて再び自転車に乗って「絵金祭り」を見に出かける。これだけは見逃したくなかったので。一瞬にして観光客に早変りだ。

1時間ほどお祭の雑踏をうろつき、「絵金」の絵を眺めた。帰って食堂で夕食を食べ、風呂に入っている間に洗濯をした。洗濯機、乾燥機各100円。それぞれ4台あった。食堂で用意してくれたビールを部屋で飲みながら翌日の下調べ。就寝。

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